記者発表

生命の不思議を"ピンポイント照射"で明らかに ~マイクロビーム照射を用いて脳神経系の発生や運動機能を解明~

発表のポイント

◆厚みがあるメダカや線虫1の個体の局部を、神経機能に影響しないように麻酔をかけずに、さまざまな照射サイズで刺激できるマイクロビーム局所照射技術を開発

◆メダカ初期胚で、損傷を受けた細胞の割合や数が脳神経系の発生過程の中断を決定していることや、線虫の全身屈曲運動が中枢神経から独立したメカニズムでも制御されていることを明らかに

◆マイクロビームが、既存の技術では実現できなかった未知の生命現象の解明に有効なことを実証

発表概要

国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」という。)量子ビーム科学部門高崎量子応用研究所プロジェクト「マイクロビーム生物研究」の舟山知夫プロジェクトリーダー、鈴木芳代主幹研究員らは、国立大学法人東京大学(総長 五神真)大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻の保田隆子特任准教授、尾田正二准教授ら、国立大学法人広島大学(学長 越智光夫)大学院先進理工系科学研究科先進理工系科学専攻の辻敏夫教授、曽智助教らと共同で、イオンマイクロビームで細胞にピンポイントで刺激を与える技術により、生物の脳神経系の発生制御や全身の運動制御のメカニズムの一端を解明することに成功しました。

 マイクロビームは、高エネルギーに加速したイオンをマイクロメートルサイズまで微小化したもので、生物の細胞の構造を破壊することなく、狙った位置にピンポイントでエネルギーを照射できます。これまで薄くて動かず狙いやすい培養細胞や麻酔した生物を照射して応答を調べる研究に使われてきました。生物の脳や神経系では、さまざまな細胞が複雑に連携して機能を実現しています。しかし、その全容の解明には、細胞同士の接続も含めた包括的な解析が必要です。そこで、量研では、マイクロビームで脳や神経系の細胞をピンポイントで照射できれば、その細胞同士の接続を破壊せず、刺激を与えて複雑に連携した機能を解析できると考えました。従来のマイクロビームイオン照射技術を、厚みがある生体試料に対してもさまざまなサイズで照射できるよう改良し、これまでできなかった、厚みがあるメダカや線虫の個体の局部を、神経機能に影響しないように麻酔をかけずに、狙った照射サイズで刺激する技術を開発しました。

開発したイオンビーム照射技術で、メダカの脳神経系の発生を制御するメカニズムを探るため、メダカ胚の一部をマイクロビームのサイズを変えて照射し、その後の発生への影響を観察しました。その結果、重度の損傷を受けた細胞の割合や数が発生過程の中断を決定していることがわかりました。これは、哺乳動物の発生の制御や奇形を防ぐ機能の理解に役立つ成果です。

また、神経回路と運動制御のモデル生物である線虫で、全身屈曲運動を司る部位を特定するため、開発したマイクロビーム技術を用いて照射を行いました。中枢神経を含む線虫の頭部領域をマイクロビームのサイズを変えて照射した結果、全身屈曲運動は中枢神経だけでなく、それから独立したメカニズムでも制御されていることが明らかになりました。本研究を通じて、既存の技術では実現できなかった未知の生命現象の解明に、マイクロビーム局部照射が有効であることが示されました。今後は、より多様な生物の生命の不思議を、マイクロビームを用いて解明していきます。

 これらの成果は、Biology誌の特集号"Brain Damage and Repair: From Molecular Effects to CNS Disorders(脳の損傷と修復: その分子効果から中枢神経系における障害まで)"に2020年12月5日(土)8:00(日本時間)に掲載されました。

発表内容

(背景)

 生物個体の生命現象、とりわけ、脳や神経に関わる機能を実現するメカニズムは、機能の異なる多数の細胞が互いに連携して実現されています。このような複雑な生物の機能の解析は、個々の細胞における遺伝子が果たす機能だけではなく、細胞の物理的な接続なども含めた細胞ネットワークの包括的な解析が必要です。マイクロビームは、高エネルギー化したイオンを細胞と同じマイクロメートルサイズまで微小化したビームスポットを用い、生物試料の一部を顕微鏡で観察しながら狙い照射することができます。このマイクロビームを用いて個体の一部の細胞にピンポイントで刺激を与えることで、生物の脳神経系の発生の制御や、全身運動の制御メカニズムなどの複雑な応答の解析ができるのではないかと考えました。

(マイクロビーム局部照射)

マイクロビームはイオンビーム(原子から電子を剥ぎ取った原子核(イオン)を加速器によって光速の数十分の一から数分の一程度にまで高速に加速したもの)をマイクロメートルサイズの微小なビームスポットにして、顕微鏡下で生物試料の特定の位置を狙って照射する技術です。量研高崎量子応用研究所のイオン照射研究施設(TIARA)には、AVFサイクロトロンで加速した幅広いイオンビームをマイクロビーム化し、大気中で試料に照射できる生物用マイクロビーム照射装置があります。TIARAのマイクロビーム装置は、サイクロトロンのイオンビームを段階的に微小化して大気中に取り出し、顕微鏡で、試料台に設置した生物試料を観察しながら、狙った場所を照射することができます。これまでに、主に培養細胞を狙った照射を行い、その効果を調べる研究を行ってきました。今回、このマイクロビーム装置で、厚みのあるメダカや線虫の個体の局部を、さまざまな照射サイズで、神経機能に影響しないために麻酔をかけず、狙って照射する技術を実現しました。

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1 量研高崎量子応用研究所のマイクロビーム装置

(メダカ脳神経系の発生制御メカニズムの解明)

 哺乳類の胎児の発生は子宮内で進行するため、同じ個体の発生の過程を生かしたまま詳細に観察をすることができません。そのため出生前の発生の制御や奇形を防ぐ機能の理解では、まだわかっていないことが残されています。この様なメカニズムを解明するためには、発生期の状態を継続的に観察することが必要です。そこで、体外で発生し、透明な卵殻を持ち、その発生過程を、逐次、実体顕微鏡を使って詳細に観察できるメダカを用いて、胚の発生制御のメカニズムを調べました。わたしたちはこれまでに、2 GyのX線を照射したメダカ胞胚期1の胚がたどる発生過程を継続的に観察することで、照射が脳神経系の発生に遅延を引き起こす一方で、その遅延が孵化までに正常に戻ることを見いだしていました。そこで、量研高崎量子応用研究所のマイクロビームで70 μm、120 μm、180 μmとビームの径を変え、照射する胞胚の細胞の割合を変えたときに発生がどのように変化するかを継続的に観察しました。その結果、細胞の10%以下を照射した胚では、2 GyのX線を照射した場合と同様に、脳神経系の発生が一時的に遅延し、その遅延が孵化までに正常に戻りましたが、25%の細胞を照射すると残りの75%の細胞が非照射であるにも関わらず孵化できなくなることが明らかになりました(図2)。この結果は、重度の損傷を受けた胞胚の細胞の割合や数によって発生過程の中断が決定されることを示しており、発生の制御や奇形を防ぐ機能の理解に役立つ成果です。

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図2サイズを変えたマイクロビームで照射したメダカ胚の発生のようす

(線虫全身屈曲運動メカニズムの解明)

 線虫(C. elegans)は、体長およそ1 mmの神経回路や運動制御の解析によく使われるモデル生物です。この線虫の全身に照射を行うと、全身の屈曲運動が一時的に低下します。この全身屈曲運動の低下を引き起こす責任部位を明らかにするため、マイクロビームを用い、中枢神経を含む20 μm径の領域を局部照射しました。その結果、全身照射で運動低下が生じたのと同じ線量で中枢神経を照射しても、運動に変化は起きず、線量を増やすことで初めて影響が出ることを見いだしました。この結果は、線虫の全身屈曲運動が、中枢神経による制御と、筋及び運動神経による自律的な制御の両者による相補的な制御を受けていることを示しています。さらに、照射用に独自開発したマイクロチップ(Worm Sheet3)に封入した線虫の体壁筋の活動を頭部照射の前後で比較した結果、収縮している筋の波(運動リズム)では、照射による停止が起こらないことがわかりました(図3)。このことから、全身屈曲運動では、運動のリズム形成が中枢神経による中央制御から独立したメカニズムで行われていることを明らかにしました。これは、線虫の全身屈曲運動が、単純なトップダウンの制御機構に支配されているわけではなく分散制御であることを示す、生物模倣機械への応用に繋がる成果です。(線虫全身屈曲運動メカニズムの解明)

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3 頭部マイクロビーム照射前後での線虫の体壁筋の活動の比較

(成果の意義)

 これらの二つのマイクロビーム照射を個体の機能解明に用いた研究成果が、Biology誌の特集号 "Brain Damage and Repair: From Molecular Effects to CNS Disorders"に続けて掲載されました。このことは、今回開発した技術を用いて行う、生物個体へのマイクロビーム局部照射が既存の技術では実現できなかった、複雑な個体の生物機能解明に有効であることを実証したものです。

(今後の展開)

 今後は、マイクロビームを用いた生物個体への照射技術をさらに改良し、多様な生物試料への高度な照射を実現していくことで、既存の手法では解明できなかった、細胞ネットワークが個体の生命機能において果たす役割を解析し、新たな科学的知見の獲得を目指します。マイクロビームを用いることで初めて実現できる、このような研究を通じて、生命現象のメカニズムを明らかにし、量子ビームを用いた次世代の先進的な生命科学研究を創出していきます。

(謝辞)

本研究は文部科学省/日本学術振興会の科学研究費(JP21221003、JP22510056、JP25220102、JP25514002、JP15H03950、JP15K11921、JP16K00541、JP18H04991、JP18K18839)による補助を受けて実施されたものです。

用語解説

1) 線虫( elegans

体長約1 mm、細胞総数959個(雌雄同体)の線形動物門に属する小型生物。神経系や筋、消化器や生殖器などの基本的な組織を備え、ヒトと共通の運動機能や高次神経機能を有する。受精卵から成虫になるまでの全細胞の細胞分裂の系譜が明らかにされている他、細胞同士の解剖学的な接続構造も完全に明らかにされており、発生や神経生物学を研究するためのモデル動物として世界中で使われている。

2) メダカ胞胚期

メダカの受精から約7日間でふ化に至る発生過程の中で、受精後8時間の段階。哺乳類では着床前期胚に相当する。

3) Worm Sheet

常に動き回る線虫の特定の場所をマイクロビームで狙って照射するために、生きたまま麻酔をせずにその動きを抑制し、長時間の収容保定を可能にするために独自開発した生物試料用PDMSマイクロチップ。

本研究の成果

保田 隆子a, 舟山 知夫b, 永田 健斗a,b, 李 多琳a, 遠藤 拓哉a, 賈 啓慧a, 鈴木 芳代b, 石川 裕二b, 三谷 啓志a, 尾田 正二a, "Collimated microbeam reveals that the number of non-damaged cells in irradiated blastoderm determines the success of development in medaka (Oryzias latipes) embryos", Biology (2020)

a東京大学, b量子科学技術研究開発機構)

鈴木 芳代a, 曽 智b, 山下 浩生b, 辻 敏夫b, 舟山 知夫a, "Targeted central nervous system irradiation of Caenorhabditis elegans induces a limited effect on motility", Biology (2020)

a量子科学技術研究開発機構, b広島大学)