これまで分解しないとされていた市販の釣り糸が海洋で生分解することを発見 ―ゴーストギア(漁業系プラスチックごみ)問題解決の決定打に―
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国立大学法人東京大学
国立大学法人九州大学
一般財団法人化学物質評価研究機構
国立大学法人長岡技術科学大学
国立大学法人愛媛大学
発表のポイント
◆これまで高分子分野や水産業分野で、海洋では分解しないと共通認識されていた市販のナイロン6とナイロン6,6の共重合体の釣り糸が、共重合体の比率がある範囲に入る場合には、代表的な海洋生分解性ポリマーのセルロースと同等レベルで生分解することを世界で初めて明らかにした。
◆現在市販されているほとんどの釣り糸は生分解性でないため、切れた場合に水鳥やウミガメなどに絡まることによる生態系への悪影響や、マイクロプラスチック化することによる海洋汚染が世界的な問題になっている。
◆今回の発見は、釣り糸による海洋汚染拡大の歯止めとなるのみならず、漁網などの漁業系プラスチックに展開することにより、ゴーストギア問題の包括的解決にも貢献できる。
不法投棄された漁網に絡まってしまったウミガメ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ (参照2025-5-12)
発表概要
東京大学の伊藤耕三特別教授、安藤翔太特任助教、九州大学の高原淳学術研究員、一般財団法人化学物質評価研究機構の菊地貴子主管研究員、長岡技術科学大学の笠井大輔准教授、愛媛大学の日向博文教授らによる研究グループは、海洋では分解しないとこれまで共通認識されていた市販の釣り糸の中に、代表的な海洋生分解性ポリマーのセルロースと同等レベルで生分解する釣り糸が複数存在することを発見しました。具体的には、市販されているナイロン6とナイロン6,6の共重合体(注1)の釣り糸の中で、共重合体の比率がある範囲に入る市販の釣り糸が、海洋中で生分解性ポリマーの標準物質であるセルロースと同程度の生分解性を示すことを世界で初めて明らかにしました。これは、ナイロンを非生分解性ポリマーとして扱ってきた教科書の記述や、高分子分野・水産業分野の共通認識が間違っていることを示し、これまでの常識を完全に覆すものです。この発見を契機として生分解可能な釣り糸が世界中で盛んに利用されるだけでなく、漁網等の漁業系プラスチックの材料開発に展開が可能となることから、ゴーストギア問題(注2)の包括的解決が期待されます。
発表内容
〈研究の背景〉
伊藤特別教授らは、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)ムーショット型研究開発事業の中で、2020年度から「非可食性バイオマスを原料とした海洋分解可能なマルチロック型バイオポリマーの研究開発」というテーマで、強靭性と海洋生分解性を両立する釣り糸の開発を推進してきました。釣り糸のポリマー素材としては、ナイロン、ポリフッ化ビニリデン(PVDF)、ポリエチレン(PE)、ポリエチレンテレフタレート(PET)などが利用されていますが、これらのポリマーは非生分解性であるため、切れた場合には海洋中または海底に長期間とどまり、水鳥やウミガメなどに絡まることによる生態系への悪影響や、マイクロプラスチック化することによる海洋汚染が世界的な問題になっています。
〈研究の内容〉
愛媛大学イノベーション創出院南予水産研究センターが中心となって、愛媛県愛南町で世界最大規模の海洋生分解性ポリマーのフィールド試験(注3)を実施していたところ、現在市販されている非生分解性のナイロン6とナイロン6,6の共重合体の釣り糸の中で、共重合体の比率がある範囲に入る場合には、強度が時間経過とともに著しく低下し、その表面が分解している兆候を見出しました(図1)。
図1 市販の釣り糸のフィールド試験における形状と強度の時間変化
1M、2M、3Mはそれぞれ実験開始から1カ月後、2カ月後、3カ月後を表し、Surfaceは海面の表層付近、Floorは海底での分解性試験の結果を示す。いずれの釣り糸も、時間の経過とともに細くなり、表面に凹凸が見られるようになり、結節強度が低下していることから、海洋中で分解していることがわかる。ただし分解の程度については、釣り糸の共重合体の組成比や分解性試験の環境(表層または海底)によって違いが見られる。
そこで、東京大学、九州大学、一般財団法人化学物質評価研究機構がそれぞれ独立に、市販されているナイロン製釣り糸の生分解性(生物化学的酸素要求量;Biochemical Oxygen Demand, BOD)試験を網羅的に行ったところ、上記の分解の兆候が見られた市販の釣り糸が確かに生分解していることを確認しました(図2)。
図2 市販されているナイロン製釣り糸の生分解性
(生物化学的酸素要求量;Biochemical Oxygen Demand, BOD)試験の試験結果
サンライン社製Queen Star 1号(黄色)やサンヨーナイロン社製Extra V-500 1号(ピンク)は生分解性ポリマーの標準物質であるセルロース(黒)と同程度の生分解性を示している。東レ社製Ginrin(水色)も若干の生分解性を示すが、他のナイロン製釣り糸はほとんど生分解性を示さない。
これは、ナイロンを非生分解性ポリマーとして扱ってきた教科書の記述や、高分子分野・水産業分野の共通認識が間違っていることを示し、これまでの常識を完全に覆すものです。現在は、微生物や酵素の専門家である長岡技術科学大の笠井准教授も参加し、生分解のメカニズムについて検討を行っているところです。
〈今後の展望〉
今回、発見されたナイロン6とナイロン6,6の共重合体の釣り糸は、すでに市販・利用されていることからもわかるように、量産性やコストが問題ないことから、この発見を契機として生分解可能な釣り糸が世界中で利用され、また開発が加速的に進むようになれば、釣り糸による海洋汚染拡大の歯止めとなります。また、漁網などの漁業系プラスチックに展開することにより、ゴーストギア問題を包括的に解決することが期待できます。ムーンショット型研究開発事業では、今回発見した生分解性メカニズム等を明らかにし、広く漁業用プラスチックの開発に展開することにより、社会実装に向けた取組みを継続していく予定です。
発表者
東京大学大学院新領域創成科学研究科
伊藤 耕三 特別教授
安藤 翔太 特任助教
九州大学 ネガティブエミッションテクノロジー研究センター
高原 淳 学術研究員
一般財団法人化学物質評価研究機構 東京事業所高分子技術部
菊地 貴子 主管研究員
長岡技術科学大学 技学研究院 物質生物系
笠井 大輔 准教授
愛媛大学 イノベーション創出院南予水産研究センター/大学院理工学研究科/先端研究院沿岸環境科学研究センター
日向 博文 教授
学会情報
学会名:第74回高分子学会年次大会(2025年5月19日~)
題 名:難生分解性ポリアミドの共重合比率による生分解性発現
発表者名:安藤翔太、正木崇士、笠井大輔、上野瑛理、儀武菜美子、アンインジュン、
菊地貴子、米村まいな、加藤太一郎、日向博文、高原淳、伊藤耕三
研究助成
本研究は「ムーンショット型研究開発事業 (No. JPNP18016)」の支援により実施されました。
用語解説
(注1)共重合体
2種類以上の異なる単量体(モノマー)が結合してできた高分子(ポリマー)のこと。1種類の単量体(モノマー)が結合してできた高分子(ポリマー)はホモポリマーと呼ばれている。
(注2)ゴーストギア問題
ゴーストギア問題とは、海に捨てられたり、失われたりした漁具(網、釣り糸、ロープ、カゴなど)が、環境や生態系に悪影響を及ぼす問題のこと。「ゴーストギア(Ghost Gear)」とは、「幽霊漁具」という意味で、人の管理を離れた漁具が海中を漂い続ける様子から名付けられた。
https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/4452.html
(注3)フィールド試験
実験室のような閉鎖的な環境ではなく、実際に使用される環境下で行う試験のこと。
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