認知症治療への新たな光 ――生体ジペプチドが神経炎症を抑え認知症モデルマウスの寿命を延長――
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東京大学
発表のポイント
◆筋肉に含まれる抗炎症性のジペプチドであるアンセリンに、炎症活性化に関わるリン酸化酵素に対する活性抑制作用があることを発見しました。
◆寿命の短縮を伴う重篤な認知症モデルマウスに対して、アンセリンを8週間投与することにより、ニューロンの変性が軽減し、短縮した寿命が回復することを見出しました。
◆進行し続ける高齢化社会において、アルツハイマー病に代表される認知症の病理進行メカニズムの解明および治療法の開発に貢献すると期待されます。

変性したニューロンの電子顕微鏡画像
概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科の久恒辰博准教授、雷晨旭大学院生、鈴木穣教授、鈴木邦律准教授らと、順天堂大学大学院医科学研究科の内山安男教授、谷田以誠准教授、山口隼司助教らによる研究グループは、独自に作製をした顕著な寿命短縮を伴うアルツハイマー型認知症(注1)モデルマウスを用いて、神経炎症が神経細胞のタウ病理(注2)を誘発し、寿命を短縮させることをあきらかにしました。さらに、サケやマグロなどの長距離回遊魚や渡り鳥の胸筋に多く含有され、ヒトの脳にも含まれる抗炎症性の生体ジペプチドであるアンセリン(注3)が炎症を活性化する酵素(IRAK1)の働きを抑制することで、認知症モデルマウスにおける神経炎症反応を軽減し、機能障害、神経組織の萎縮、そして個体の死亡を回避させることが分かりました。
本研究成果は、進行し続ける高齢化社会において、アルツハイマー型認知症(Alzheimer’s disease; AD)に代表される認知症の病理進行メカニズムの解明と治療法の開発に寄与することが期待されます。さらに、脳内グリア細胞による神経炎症の増悪は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)や多発性硬化症(MS)など、他の神経変性疾患への幅広い応用も期待されます。
発表内容
アルツハイマー型認知症(Alzheimer’s disease;AD)は最も代表的な神経変性疾患の一つであり、認知症の原因の60~70%を占めています。ADの病理進行は、認知機能障害や行動障害を伴い、最終的には死亡に至ります。タウ関連病理はADの特徴の一つであり、神経変性と死亡リスクへとつながることが示されています。アストロサイト(注4)は脳内で最も豊富に存在するグリア細胞(注5)であり、通常は、神経細胞のはたらきを支える重要な役割を担っています。しかし、AD の進行に伴い、アストロサイトは本来の機能を失い、NF-κB 経路(注6)の活性化を介して炎症性の液性因子を大量に放出するようになり、神経毒性を持つ A1 タイプのアストロサイトへと変化します(図1)。

図1:アルツハイマー型認知症における炎症性アストロサイトの神経機能障害に対する悪影響
本研究でも対照のために実施した前頭側頭葉型認知症モデル(TE4)マウス(注7)においてもアストロサイトは補体 C3などの炎症性因子を分泌し、タウ病理による神経変性および個体死亡を起こすことが報告されていましたが、このモデルマウスではアミロイドβ(Aβ、注8)の病理が欠如していたため、アルツハイマー型認知症における関与を明らかにすることはできていませんでした。
本研究グループでは、顕著な寿命短縮を伴うアルツハイマー型認知症モデル(E4-3Tg)マウス(注9)を独自に作製したしました。TE4マウスと比較すると、E4-3Tg マウスではタウ病理が有意に早く進行し、死亡個体が早期に生じるために生存期間の中央値が、TE4マウスと比較しても顕著に短く、6.5ヶ月でありました(図2)。
図2:新規E4-3Tgにおける症状の進行と個体の死亡
A:本研究で新たに作成をしたE4-3Tgマウスと従来からあるTE4マウスの遺伝子構成の違い。
B:アルツハイマー型認知症の進行におけるアミロイドβ病理、タウ病理、およびAPOE4の相互関係。
C:6.5 か月齢の TE4 および E4-3Tg マウスタウ病理。(海馬 CA1 領域における AT8染色の代表的画像(スケールバー:25 μm))。E4-3Tgマウスの方がTE4マウスに比べてタウ病理が進んでいることが分かる。
D:Control、TE4、E4-3Tg マウスの Kaplan–Meier 生存曲線。E4-3Tgマウスの方がTE4マウスに比べて生存率が顕著に低下していることが分かる。
続いて、細胞実験を用いて、神経炎症を引き起こすアストロサイトの活性化に関与するリン酸化酵素 IRAK1の活性を抑制する因子を探索しました。その結果、ヒトの脳内にも存在する抗炎症性の生体ジペプチドであるアンセリンにリン酸化酵素IRAK1の活性を阻害して、神経炎症を防ぐ働きがあることを見出しました(図3)。

図3:抗炎症性の生体ジペプチドであるアンセリンの構造とその活性について
A アンセリンの化学構造。
B アンセリン処理を行った IRAK1のキナーゼ活性曲線。アンセリンにより酵素活性が阻害されていることが分かる。
C アンセリンによるC3産生の抑制。アンセリンを前処理することにより培養アストロサイトのIL-1β刺激によるC3の産生が抑制されていることが分かる。**p < 0.01、**** p < 0.0001。
D アンセリンがNF-κB経路を抑制する模式図。
さらに、E4-3Tgマウスに、アンセリンを1頭当たり約10mgを8週間以上投与したところ、ニューロン変性が抑制されることにより脳委縮が回避され、個体の死亡が完全に防止できることが分かりました(図4)。

図4:アンセリン投与によるE4-3Tgマウスの寿命短縮の回避
アンセリンは、新規E4-3Tgマウスの神経炎症を抑え、ニューロン変性を抑制し脳萎縮を回避、個体の死亡を防いだ。
A:E4-3Tgマウスを用いた研究の模式図。4.5 か月齢から8週間、アンセリンを飲水ボトルから投与。
B:アンセリン投与による神経炎症の軽減とタウ病理の抑制。
マウスの海馬 CA1 領域における神経炎症ならびにタウ病理の代表的な画像(図中矢じりで表示)
C:アンセリン投与による脳委縮の回避。
6.5 か月齢の Control、E4-3Tg、E4-3Tg (A) マウスの代表的な脳画像。
D:アンセリン投与による寿命短縮の回避。
Control、E4-3Tg および E4-3Tg (A) マウスの Kaplan–Meier 生存曲線。*p < 0.05、** p < 0.01。
本研究成果により、アンセリンによって認知症モデルマウス(E4-3Tg)の死亡の回避が出来ることが分かりました。アンセリンはヒトの脳に含まれており加齢とともに合成量が減少することが知られているため、日常的な食事から補うことが必要であるとされています。今回、脳の細胞に対するアンセリンの分子作用メカニズムが明らかになったことにより、アルツハイマー病に代表される認知症の治療法開発等へのより幅広い応用が期待されます。
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院新領域創成科学研究科
先端生命科学専攻
細胞応答化学分野
久恒 辰博 准教授
雷 晨旭 博士課程
張 博程 博士課程
田村 理佐子 博士課程
鍾 偉童 博士課程
曹 星宇 修士課程(研究当時)
劉 云慧 博士課程
生命応答システム分野
鈴木 邦律 准教授
メディカル情報生命専攻 メディカル情報データサイエンス分野
関 真秀 特任准教授
生命データサイエンスセンター
鈴木 穣 教授
順天堂大学
大学院医科学研究科老人性疾患病態・治療研究センター
内山 安男 教授
谷田 以誠 准教授
大学院医科学研究科 形態解析イメージング研究室
山口 隼司 助教
論文情報
雑誌名:Journal of neuroinflammation
題 名:Dual inhibition of IRAK1/TAK1 signaling in astrocytes reduces accelerated mortality in human APOE4 knock-in APPswe/PSEN1dE9/P301S-Tau triple transgenic mouse model
著者名: Chenxu Lei, Bocheng Zhang, Junji Yamaguchi, Risako Tamura, Weitong Zhong, Xingyu Cao, Yunhui Liu, Masahide Seki, Yutaka Suzuki, Kuninori Suzuki, Isei Tanida, Yasuo Uchiyama, Tatsuhiro Hisatsune*
DOI: 10.1186/s12974-025-03564-7
URL: https://doi.org/10.1186/s12974-025-03564-7
研究助成
本研究は、日本学術振興会 同基盤研究B(21H02152)「神経細胞の生存を支えるレトログレードシグナルの解明に関する細胞工学研究(研究代表者:久恒 辰博)」および JST SPRING(JPMJSP2108)の支援を受けて実施されました。
用語解説
(注1)アルツハイマー型認知症:認知症の中で最も頻度が高い神経変性疾患の一つで、認知症の60~70%の原因となっている。脳内にアミロイドβの異常沈着やタウの異常リン酸化による神経原線維変化が特徴で、認知機能の低下をはじめ、行動や精神症状が徐々に進行し、最終的に死亡に至る。
(注2)タウ病理:ニューロンでタウタンパク質が異常にリン酸化され、凝集して蓄積することで形成される病理学的変化。タウ病理はニューロンの変性につながる。
(注3)アンセリン:β-アラニンと3-メチル-L-ヒスチジンという2つのアミノ酸が結合したジペプチドで、体の中でも合成されている生体成分。炎症は体の防御反応の一つであるが、過剰になると組織にダメージを与える。アンセリンは、炎症を引き起こす物質(炎症性サイトカイン)の生成を抑制することで、過剰な炎症を和らげる働きがある。本研究では、北海道千歳川に遡上したサケ(通称:ほっちゃれ鮭)より抽出し、クロマトグラフィーにより精製したアンセリン精製品(東海物産株式会社提供)を用いて研究を実施した。

アンセリン分子の立体構造
(注4)アストロサイト:中枢神経系に存在するグリア細胞の一種で、ニューロンへの栄養と代謝の供給、シナプス形成の調節など多様な役割を果たしている。アストロサイトは脳の恒常性維持に不可欠である一方、アルツハイマー病などの神経変性疾患の進行時には異常に活性化し、神経毒性的な作用を示す A1 タイプのアストロサイトへと変化することが知られている。
(注5)グリア細胞:脳の神経組織の中には、アストロサイトに加えて、オリゴデンドロサイト、ミクログリア細胞などがあり、神経細胞(ニューロン)のはたらきを支えている。
(注6)NF-κB 経路:NF-κBは転写因子として働くタンパク質複合体であり、症性サイトカインなどの刺激により活性化される。NF-κB 経路の活性化は、A1アストロサイトの活性化の原動力と知られている。
(注7)前頭側頭葉型認知症モデル(TE4)マウス:アルツハイマー病リスク遺伝子である前頭側頭葉型認知症モデルTau-P301SマウスにAPOE4をノックイン導入したマウス。主にタウ病理のみを再現する。
(注8)アミロイドβ(Aβ):アルツハイマー病患者の脳に沈着する老人斑の主成分であり、神経細胞に対する毒性を持つ。アミロイドβ(Aβ)は、アルツハイマー型認知症進行の初期段階で重要な役割を果たすと考えられている。
(注9)顕著な寿命短縮を伴うアルツハイマー型認知症(E4-3Tg)マウス:アルツハイマー病リスク遺伝子であるAPOE4をノックイン(注10)導入した APPswe/PSEN1dE9/Tau-P301S 三重トランスジェニックマウスモデル。本研究において独自に作製した。E4-3Tgマウスは早い段階でアミロイドβ病理、タウ関連病理およびアストロサイトの活性化を示す。
(注10)ノックイン:マウスの遺伝子と置き換えて別の種の遺伝子を挿入する実験手法。

