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研究成果

アゲハチョウ2種のゲノムを解読 -毒蝶に似せる擬態の謎に迫る-

投稿日:2015/03/10
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会見日時

2015年 3月 6日(金) 14:00  ~ 16:00

会見場所

東京大学 本郷キャンパス 山上会館地階会議室001
(東京都文京区本郷7-3-1)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_00_02_j.html

出席者

藤原晴彦(東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻 教授)
西川英輝(東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻 特任研究員)
飯島択郎(東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻 博士課程大学院生)

発表のポイント

◆アゲハチョウ2種(シロオビアゲハとナミアゲハ)のゲノムを解読し、世界で初めてアゲハチョウ科に属する蝶のゲノムを明らかにした。
◆シロオビアゲハの雌が毒蝶のベニモンアゲハにその模様を似せるベイツ型擬態の原因となる遺伝子の構造や分子機構を明らかにした。
◆本成果は、蝶の多様な基礎研究を推進するとともに、食植性昆虫の防除や生育制御にも役立てられると期待される。

 

発表概要

 沖縄などに生息するシロオビアゲハは、雌だけが翅の紋様などを毒蝶のベニモンアゲハに似せて捕食者をだまし、捕食者から逃れる擬態(ベイツ型擬態、注1)を示す。しかしその原因遺伝子や分子機構については不明瞭だった。
 今回、東京大学大学院新領域創成科学研究科の藤原晴彦教授らは擬態の謎を解くために、東京工業大学、名古屋大学、国立遺伝学研究所などと協力して、シロオビアゲハとベイツ型擬態をしないナミアゲハの2種のゲノムを解読し、その原因遺伝子や分子機構の一端を明らかにした。
 シロオビアゲハのゲノムデータの解析などから、ゲノム上でベイツ型擬態を生じさせている領域は10万塩基対以上に及ぶ超遺伝子(注2)と呼ばれる構造で、性分化を制御するdoublesex注3)などの遺伝子を含むことが判明した。また、この構造は擬態をしないシロオビアゲハの雌のものと比べて、染色体の並びが逆向きになるなど特異な構造をしていた。擬態をしないナミアゲハのゲノムとの比較から、擬態をするシロオビアゲハの雌の超遺伝子は数千万年前に誕生したと推定された。さらに、新たに開発した遺伝子導入技術などから、擬態をするシロオビアゲハの擬態型dsxのメッセンジャーRNAが翅の紋様などの擬態を生じさせることがわかった。
 本成果は、蝶などによく見られる「雌に限定されたベイツ型擬態」の謎を解くとともに、超遺伝子の完全な構造と機能を初めて示したものである。また、アゲハチョウ科の蝶のゲノムが解読された初めての成果で、このゲノム情報は多様な基礎研究を推進するとともに、食植性昆虫の防除や生育制御に役立てられると期待される。
 

発表内容

(研究内容と背景)
 日本では沖縄などに生息するシロオビアゲハ(Papilio polytes)は、毒蝶であるベニモンアゲハに紋様や行動を似せて捕食者をだますベイツ型擬態(注1)をすることで知られ、生態学、進化学、遺伝学などの分野で古くから興味をもたれてきた。また、日本人に馴染み深いナミアゲハ(Papilio xuthus)は、蝶の視覚、味覚、隠蔽型擬態(注4)など多様な現象を理解するための実験材料として広く使われている。アゲハチョウ科に属する蝶は世界に500種類以上生息するが、これまでゲノムが解読された種はなく、参照すべきゲノム情報のないことが上記のような現象の分子機構を探る上で、研究の妨げとなっていた。
 今回、東京大学大学院新領域創成科学研究科の藤原晴彦教授らのグループは主にアゲハの擬態に関わる遺伝子を探索する目的で、東京工業大学、名古屋大学、国立遺伝学研究所のグループなどと協力して、雌がベイツ型擬態を示すシロオビアゲハとベイツ型擬態を示さないナミアゲハのゲノムを完全に解読することに成功した。その結果、シロオビアゲハのゲノムは2.27億塩基対(227Mb、注5)、ナミアゲハは2.24億塩基対(244Mb)で、オオカバマダラなど他の蝶とは同程度の大きさである一方、カイコ蛾などに比べると半分程のコンパクトなゲノムであることが判明した。また、シロオビアゲハのゲノムデータの解析から、ベイツ型擬態の分子機構と進化に関する多くの謎が解き明かされた。
 シロオビアゲハの雄や擬態しない雌(非擬態型)の後翅には、その名の通り白い帯状の紋様が見られるが、雌の一部(擬態型)だけにベニモンアゲハに似た複数の赤いスポット紋様が生じる(図1)。これまでの研究から、常染色体(注6)上の1遺伝子座(H注7)によってシロオビアゲハの雌の擬態型(優性:H)とシロオビアゲハの雌の非擬態型(劣性:h)の2種類が生じることが示されていた。しかし、�@なぜ雌だけ擬態できるのか?�A野生集団で2種類の雌がどのように維持されるのか?�BH遺伝子座の実体は何なのか?といった問題が残っていた。
 擬態型Hと非擬態型hの全ゲノム配列を比較したところ、両者の配列が大きく異なる領域が常染色体上に1か所だけ見つかった。この領域は、別の実験(連鎖解析、注8)から判明したH遺伝子座の原因部位と一致し、そこには性分化を制御するdoublesexdsx)という遺伝子が主に存在していた。さらにこの領域では染色体の並びが逆転する現象(逆位)が起こっていた(図2)。つまり、擬態型Hと非擬態型hに対応した、構造が大きく異なる2種類の染色体が存在していた。また、ナミアゲハのゲノムとの比較から、4000万年近く前にh染色体からH染色体が生じたと推定された。これは、先行研究(Zakharov et al. 2004)でナミアゲハとシロオビアゲハは約4000万年前に分岐したと推測された年代の後ではあるが、それに近い年代と推測された。また、逆位領域では染色体の組換えが抑制されるため、シロオビアゲハの野生集団では2種類の染色体(Hh)が長期間それぞれの構造を維持してきたと示唆された(疑問�Aの答)。
 H染色体とh染色体のdsx遺伝子は構造が大きく異なるが、新たに開発した遺伝子導入技術(注9)を用いて解析したところ、H染色体のdsx遺伝子のみが擬態型の赤いスポット模様などの形質を誘導した(疑問�Bの答、図3)。また、dsx遺伝子には雄型メッセンジャーRNAと雌型メッセンジャーRNAが存在するが後者のみが擬態を生じさせる可能性が示唆された(疑問�@の答)。興味深いのは、逆位領域内部や近傍には、H染色体とh染色体で構造や発現が大きく異なる遺伝子がdsx以外にも2種類存在したことである。アゲハ蝶のベイツ型擬態には染色体上の隣接した遺伝子群からなるユニット(超遺伝子)が関わっているという仮説が80年以上前から提示されてきた。進化の過程を経てもなお維持されている(進化的に保存されている)逆位領域が擬態形質の原因となっているという今回の結果は、長い間謎だった超遺伝子の分子的な実体を突き止めたという点からも大きな成果と言える。
 

(社会的意義・今後の予定)
 遺伝子の働きによって決まる性質や特徴のほとんどは、1つの遺伝子によって決まるか、遺伝的に関連のない複数の遺伝子が関与する量的形質(例えば人の身長のような特徴)である。ところが、鳥の羽毛多型、アリの階級分化といった複雑な適応形質は隣接した遺伝子群からなる超遺伝子が原因であるという仮説が注目されつつある。超遺伝子の構造が明確に示されたのはこれまでドクチョウ科の1例しかなく(Joron et al., 2011)、超遺伝子の完全な構造を解明し原因となる遺伝子の機能を証明したのは今回が初めてである。今後はdsx遺伝子近傍の遺伝子が擬態形質に関与するかを調べる必要があるが、今回の成果は進化遺伝学の分野で注目される超遺伝子の謎に迫るものである。さらに、本研究で開発した遺伝子導入技術(遺伝子を導入することにより、蝶の翅の紋様を変更する技術)は画期的で、今後世界の蝶研究者の間で使われるようになると期待される。
 今回、アゲハチョウ科2種のゲノム情報が高い精度で解読されたことにより、アゲハチョウ科の蝶や鱗翅目昆虫を対象にした分子レベルの生理学研究や進化学研究が推進される可能性がある。またゲノム情報は食植性昆虫として農業などに多大な被害を与える鱗翅目昆虫の防除や生育制御に役立つことが期待される。

 本成果は、東京工業大学、名古屋大学、国立遺伝学研究所、かずさDNA研究所、JT生命誌研究館との共同研究により得られた。また、本研究は科学研究費補助金・新学術領域「複合適応形質進化の遺伝子基盤解明」(代表:長谷部光泰)の計画研究「昆虫の擬態紋様形成の分子機構と進化プロセス」(代表:藤原晴彦)によって主に進められ、ゲノム解析は科学研究費補助金・新学術領域「ゲノム支援」(代表:小原雄治)の支援により主に進められた。

発表雑誌

雑誌名:「Nature Genetics」(3月9日:Advance Online Publication; 09 March at 1600 London/ 1200 US Eastern time)
論文タイトル:A genetic mechanism for female-limited Batesian mimicry in Papilio butterfly.
著者:Hideki Nishikawa, Takuro Iijima, Rei Kajitani, Junichi Yamaguchi, Toshiya Ando, Yutaka Suzuki, Sumio Sugano, Asao Fujiyama, Shunichi Kosugi, Hideki Hirakawa, Satoshi Tabata, Katsuhisa Ozaki, Hiroya Morimoto, Kunio Ihara, Madoka Ogara, Hiroshi Hori, Takehiko Itoh & Haruhiko Fujiwara*
DOI番号:10.1038/ng.3241

論文へのリンク(掲載誌

問い合わせ先

東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授
藤原晴彦(ふじわら はるひこ)
  電話番号:04-7136-3659, FAX: 04-7136-3660
 E-mail: haruh@k.u-tokyo.ac.jp

用語解説

(注1)ベイツ型擬態:
無毒な生物種が毒のある生物種の形質(紋様、形態、行動など)に似せて捕食者から逃れるタイプの擬態の総称。
(注2)超遺伝子(supergene):
染色体上で隣接する複数の遺伝子群が複雑な適応形質を制御しているという仮説で、80年以上まえに提唱された(Fisher RA, 1930)。最近の総説では(Shcwander et al, 2014)、蝶の擬態以外に、アリの社会性、魚の隠ぺい色、鳥の羽毛多型など、さまざまな複合適応形質に関与しているとされるが、その分子的実体についてはまだほとんどわかっていない。
(注3)doublesex遺伝子(dsx):
昆虫から脊椎動物にいたる広範な動物で性を決定する遺伝子として知られている。雄型のメッセンジャーRNAと雌型のメッセンジャーRNAが存在し、それぞれのメッセンジャーRNAの機能に依存して雄と雌が分化していくと示唆された。
(注4)隠蔽型擬態:
背景にある植物や環境に似せて捕食者から逃れる擬態の総称で、カムフラージュ、保護色などともいわれる。
(注5)Mb(mega base, メガベース):
DNAの大きさを表す単位で、1Mbが100万塩基対に相当する。ちなみにヒトのゲノムサイズは約3000Mb(30億塩基対)。
(注6)常染色体:性染色体を除く染色体の総称。
(注7)1遺伝子座:
ある形質の原因となる染色体領域を指し、通常は単一の遺伝子やその制御領域に起因する。今回は、120kb(キロベース)という巨大な領域全体(supergene)が原因となっていた。
(注8)連鎖解析:
形質の原因となるDNA上の領域を絞り込む遺伝学的手法。1塩基多型(SNP)などのDNA上の多型と注目する遺伝的形質(今回は、雌の翅がベニモンアゲハに似た紋様)が一致する領域を探索する。
(注9)新たに開発した遺伝子導入技術:
遺伝子の導入(強制発現)や遺伝子発現の抑制(RNAi法など)により、遺伝子の機能を調べる手法は広範な現象で使われているが、蝶の翅においてはこれまで適切な方法がなかった。東京大学の研究グループが最近開発したエレクトロポレーション法(Ando  & Fujiwara, 2013)を改良し、siRNAを効率的に蛹翅に導入して特定の遺伝子発現を抑制する方法を今回開発した。

添付資料

 

図1 シロオビアゲハのベイツ型擬態

シロオビアゲには、ベイツ型擬態を見せる雌(中央)と擬態をしない雄や雌(右)がみられる。ベイツ型擬態を見せる雌と擬態しない雌は遺伝子座Hによって切り替わる。

 

 

図3 擬態型染色体に存在するdsx遺伝子が擬態形質を誘導する

今回開発した新たな遺伝子導入法で擬態型の雌個体で擬態型dsx遺伝子(擬態型染色体上に存在するdsx遺伝子)の働きを抑えることに成功した。左:同一個体内の未処理翅。右は処理翅。処理した翅では赤い斑点がなくなり白い帯状の模様が出現し、非擬態型の翅に類似するようになった。

 

 

 

 

UTokyo Research
毒蝶に似せる擬態の謎 シロオビアゲハのベイツ型擬態の分子機構