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がん抑制遺伝子産物p53による代謝制御メカニズムを紐解く -p53がアルギニン生合成経路をコントロールしていることを解明-

投稿日:2017/05/20
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発表者

松田 浩一(東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 教授)
宮本 崇史(東京大学大学院新領域創成科学研究科メディカル情報生命専攻 特任助教)

発表のポイント

◆がん抑制遺伝子産物p53がアルギニノコハク酸合成酵素ASS1の発現を制御していること、さらにp53によるASS1の発現誘導はアルギニンの生合成経路を活性化することを明らかにしました。
◆p53によるASS1の発現制御は、がん遺伝子産物Aktの機能をコントロールするうえで重要です。
◆本研究成果は、がんの治療に有効な細胞内栄養環境を理解していくうえで大きな一歩と考えられます。

発表概要

 転写因子p53はがんで最も高頻度に変異が認められるがん抑制遺伝子産物(注1)中として知られています。p53によって制御されている細胞機能は多岐にわたりますが、近年、特にp53による代謝制御(注2)が、がんの発生を抑制するうえで重要な役割を担っていることが明らかにされつつあります。しかし未だp53による代謝制御メカニズムの全容は明らかにされていません。
 今回、東京大学大学院新領域創成科学研究科の松田浩一教授と宮本崇史特任助教のグループは、公益財団法人がん研究会 がんプレシジョン医療研究センターの植田幸嗣プロジェクトリーダーと共同で、p53がアルギニノコハク酸合成酵素ASS1の発現制御を介して、アミノ酸の1つであるアルギニンの生合成経路(注3)を制御していることを見出しました。さらにp53によるASS1の発現制御は、がん遺伝子産物(注4)あるAktの活性レベルのコントロールに重要な役割を担っていることを明らかにしました。またがん細胞内のアルギニン生合成経路を制御することで、既存の抗がん剤の効果が増強される事が示されました。
 本研究はp53による代謝制御メカニズムの一端を紐解いたもので、がん細胞内の栄養状態の理解や有効ながん治療法の開発に向けた重要な一歩であると考えられています。

 

発表内容

 がん抑制遺伝子産物であるp53は、周辺環境の変化に基づいて様々な代謝関連遺伝子の発現調節を行うことで、細胞内の栄養環境を適切にコントロールしていることが知られています。近年こうしたp53による代謝制御は、アポトーシス(注5)や細胞周期制御と同様に、p53によるがん抑制において重要な役割を果たしていることが示唆されています。しかしp53による代謝制御メカニズムの全容は未だ明らかにされておらず、より詳細な理解が求められています。
 今回、東京大学大学院新領域創成科学研究科の松田浩一教授と宮本崇史特任助教のグループは、公益財団法人がん研究会 がんプレシジョン医療研究センターの植田幸嗣プロジェクトリーダーと共同で、ヒト大腸がん由来の細胞株を用いてトランスクリプトーム解析(注6)とプロテオーム解析(注7)を行い、p53によって発現が制御されている代謝関連遺伝子の網羅的探索を試みました。その結果、p53依存的に発現が誘導されるアルギニノコハク酸合成酵素ASS1を同定することに成功しました。
 ASS1はシトルリンとアスパラギン酸からアルギニノコハク酸を合成する酵素で、アルギニノコハク酸はその後、アルギニノコハク酸リアーゼASLによって速やかにアルギニンへと代謝されます。(図1)研究グループは、p53によるASS1の発現誘導が、このアルギニン生合成経路を活性化することも実験的に確認しました。p53はこれまでにプロリン、グルタミン、グルタミン酸といったアミノ酸代謝の制御に関与していることが報告されています。今回、これらアミノ酸に加えて、アルギニンの生合成もp53によって制御されていることが初めて明らかにされました。
 研究グループは次に、p53がASS1を介してアルギニン代謝を制御する生理的意義について検討を行いました。その結果、p53によるASS1の発現誘導は、多くのがんで過剰な活性化が認められるセリン/スレオニンキナーゼAktの活性レベルを抑制するために重要であることを明らかにしました(図1)。さらに、ASS1遺伝子の欠損によって細胞内からのアルギニン供給能が低下すると、Aktが活性化されやすくなることを見出しました。Aktの活性レベルはアルギニン欠乏条件下で高くなることから、p53はASS1を介してアルギニン生合成経路を活性化し、アルギニンを供給することで、Aktの活性化を抑制していると考えられます。また、p53-ASS1経路によるAktの活性抑制システムが機能しない場合、抗がん剤の1つであるアドリアマイシンで細胞を処理すると、アポトーシスによる細胞死が著しく誘導されることがわかりました。Aktは状況に応じて細胞の生死を調節する要のタンパク質であることが知られています。したがって、p53-ASS1経路によるAktの活性制御は、Aktが細胞を生存させるかどうかを決定するプロセスにおいて重要な役割を担っていることが示唆されました。
 細胞内において栄養素は、細胞を構成する要素であるのみならず、細胞の運命を決定するうえで重要な情報(栄養情報)(注8)として機能していることが知られています。p53による代謝制御は、この細胞内の栄養情報を書き換えることで、がんの発生を抑制するものとして注目されています。本研究結果は、p53がASS1の発現誘導を介して、細胞内の栄養情報を変化させ、がん悪性化の様々な局面で重要な役割を担っているAktの活性を抑制していることを明らかにしました。p53はこれまでにPTEN(注9)やPHLDA3(注10)の発現誘導を介してAktの活性を抑制することが報告されており、今回の研究結果と合わせ、p53は複数のパスウェイを介して非常に厳密にAktの活性制御を行っていることがわかりました。今後、p53がASS1などの代謝関連遺伝子の発現誘導を介して、どのような栄養情報を創り出しているのか、そして、こうした栄養情報がどういったプロセスによって細胞の運命を決定していくのかを包括的に理解していくことで、より効果的ながん治療法の開発につながることが期待されます。
 本研究は、文部科学省科学研究費補助金・新学術領域研究「システム的統合理解に基づくがんの先端的診断、治療、予防法の開発」、「がんシステムの新次元俯瞰と攻略」、日本学術振興会・科学研究費助成事業、公益財団法人武田科学振興財団の助成を受けて行われました。 

 

                       図1.P53によるアルギニン代謝制御メカニズムの概略図

発表雑誌

雑誌名:「Science Advances」(2017年5月19日)
論文タイトル:Argininosuccinate synthase 1 is an intrinsic Akt repressor transactivated by p53
著者:Takafumi Miyamoto, Paulisally Hau Yi Lo, Naomi Saichi, Koji Ueda, Makoto Hirata, Chizu Tanikawa, *Koichi Matsuda a

問い合わせ先

東京大学大学院新領域創成科学研究科
メディカル情報生命専攻クリニカルシークエンス分野
教授 松田 浩一(まつだ こういち)
TEL : 03-5449-5376
Email: kmatsuda@edu.k.u-tokyo.ac.jp

用語解説

(注1)がん抑制遺伝子産物
がんの発生を抑制する機能をもつタンパク質を指す。p53の他、Adenomatous polyposis coli protein (APC)やbreast cancer type 1 susceptibility protein (BRCA1)などが知られている。

 

(注2)代謝制御
細胞内において栄養素からエネルギーや生体構成成分を創り出す過程を「代謝」といい、本文においては、この代謝に関連している遺伝子の発現を調節することを「代謝制御」としている。

 

(注3)アルギニンの生合成経路
アルギニンは準必須アミノ酸であり、尿素サイクルにおいてアルギニノコハク酸から生合成される。細胞内においてアルギニンが生合成される経路は尿素サイクルのみである。

 

(注4)がん遺伝子産物
細胞のがん化を引き起こすタンパク質を指す。Aktの他、c-MycやRasなどが知られている。

 

(注5)アポトーシス
細胞の死に方の1つで、あらかじめ細胞内に組み込まれているプログラムに従って細胞が死んでいくプロセスを指す。

 

(注6)トランスクリプトーム解析
細胞内においてmessenger RNA (mRNA)がどのような発現状況にあるかを網羅的に知るための解析を指す。一度に数万種類のmRNAの発現パターンを解析することができる。

 

(注7)プロテオーム解析
細胞内においてタンパク質がどのような発現状況にあるかを網羅的に知るための解析を指す。トランスクリプトーム解析同様に、一度に多くのタンパク質の発現パターンを調べることができる。

 

(注8)栄養情報
細胞内の栄養素がどのような状態かということは、細胞の機能を決定する大きな要因となることが知られています。したがって、分子生物学(特に栄養科学の分野)において、細胞内の栄養素の状態というのは、細胞機能に影響を与える「情報」として考えられています。有名なところでは、アミノ酸飢餓(という情報)はオートファジー(という細胞の機能)を誘導することが知られています。

 

(注9)PTEN (Phosphatidylinositol 3,4,5-trisphosphate 3-phosphatase and dual-specificity protein phosphatase)
1997年に同定されたがん抑制遺伝子産物の1つ。ホスファチジルイノシトール3,4,5-三リン酸の脱リン酸化反応を触媒し、Aktの活性化を抑制する。

 

(注10)PHLDA3 (Pleckstrin homology-like domain family A member 3)
2009年にp53によって発現が制御されているがん抑制遺伝子の1つとして同定された。ホスファチジルイノシトール3,4,5-三リン酸に結合し、Aktの活性化を抑制する。