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研究成果

たったひとつの酵素のわずかな変化が、昆虫の食性を劇的に変化させる

投稿日:2012/09/28
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平成24年9月28日

発表者

片岡宏誌(東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻 教授)
丹羽隆介(筑波大学生命環境系 准教授)
吉山(柳川)拓志(東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻/筑波大学大学院生命環境科学研究科 日本学術振興会特別研究員)
Virginie Orgogozo(パリディドロ大学 CNRS Junior group leader)
Chantal Dauphin-Villemant(パリ第6大学 CNRS senior  researcher)

発表のポイント

- サボテンにだけ生息することができる特殊なショウジョウバエの進化には、ステロール(注1)類の代謝に関わる酵素の基質特異性(注2)の変化が密接に関係することを明らかにした。
- 今回の成果は、酵素の特性に変化を与えるようなごく少数の遺伝子変化が、生物種のライフスタイルを劇的に変化させることを示す先駆的な例である。
- 今回の成果は、「種はいかにして進化したか」という大きな問題に影響を与えるものであり、生理学、発生学、遺伝学、進化学、生態学など、広範囲の生物学にインパクトをもたらす。

発表概要

 地球上には、生態学的に特殊な環境に進出して独特の進化を遂げた生物が多数存在します。しかし、特殊な環境に進出した生物が進化の過程で誕生するためには、どのような遺伝子レベルの変化が必要であったのか、不明な点が多く残されています。今回、東京大学大学院新領域創成科学研究科の片岡宏誌教授および筑波大学生命環境系の丹羽隆介准教授の研究グループは、日本学術振興会・日仏二国間共同事業に基づくパリディドロ大学、パリ第6大学などとの共同研究を発展させ、サボテンにだけ生息することができる特殊なショウジョウバエの進化には、ステロール類の代謝に関わる酵素遺伝子のわずかな変化により酵素の特性を大きく変化させることが密接に関係することを解明しました。今回の成果は、酵素の特性に変化を与えるようなごく少数の遺伝子変化が、生物のライフスタイルの劇的な進化に関わることを示す先駆的なものです。
 この成果は、米国科学雑誌『Science』オンライン版(9月28日号)で公開されます。

発表内容

 地球上に生息する多種多様な生物の中には、通常では生存ができないような特殊な環境に適応した様々な種が存在しています。こうした生物種の進化の過程では、環境への適応を可能にする遺伝子レベルでの変化が伴うことが予想されていました。しかしながら、こうした環境適応を十全に説明できる遺伝子を具体的に明らかにした例はいまだに多くありません。今回、片岡教授、丹羽准教授、および吉山(柳川)博士研究員は、パリディドロ大学のVirginie Orgogozo博士およびパリ第6大学のChantal Dauphin-Villemant博士などと日本学術振興会・日仏二国間共同事業で築いた共同研究体制を継続し、サボテンのみで生息できる特殊なショウジョウバエに着目し、その進化に関わる遺伝子の変化を明らかにしました。
 あらゆる昆虫は、卵から成虫へと発育する過程で、「脱皮ホルモン(注3)」と呼ばれるステロイドホルモンの作用を必要としています。この脱皮ホルモンは、餌の中に含まれるコレステロールあるいはシトステロールなどの一般的な植物ステロールを原材料として生合成されることが古くから知られています。これは、生物学で非常によく使われているモデル昆虫であるキイロショウジョウバエDrosophila melanogasterやカイコBombyx moriで証明されています。一方、Drosophila pacheaと呼ばれるショウジョウバエ(以下「パチアショウジョウバエ」)は、サボテンには含まれていないコレステロールや一般的な植物ステロールを原材料として脱皮ホルモンを生合成することができないこと、さらにサボテンに含まれる特殊なステロールであるラソステロールを原料として脱皮ホルモンを生合成することが古典的に知られていました。こうしたステロール要求性の変化が、パチアショウジョウバエがサボテンのみを餌とする際に重要な契機となったと考えられますが、それを可能にした遺伝子レベルの変化は、これまでまったくわかっていませんでした。
 片岡教授、丹羽准教授や吉山(柳川)博士はこれまで、キイロショウジョウバエなどを対象とした研究から、脱皮ホルモンを生合成するためのコレステロール代謝に必須の役割を果たす酵素「Neverland(ネバーランド)(注4)」を発見し、2006年に公表しました。片岡教授ら日本側の研究チームはさらに、ネバーランドの酵素活性を調べる手法を開発し、ネバーランドが、昆虫のみならず、動物で進化的に保存されたコレステロール代謝酵素であることを2011年に報告しました。 
 一連の結果を受けて、ネバーランドの基質がキイロショウジョウバエではコレステロールに限定されていることに着目した Orgogozo 博士、Dauphin-Villemant博士、片岡教授、丹羽准教授、吉山(柳川)博士らは、パチアショウジョウバエにおいてはこのネバーランドが進化し、基質となるステロールの特異性が変化したのではないかという仮説を立て、一連の研究を実施しました。その結果、今回、主に以下の5点を明らかにしました。(1)パチアショウジョウバエのゲノムにもネバーランド遺伝子が存在すること、(2)パチアショウジョウバエにおいてもネバーランド遺伝子は脱皮ホルモン産生器官(前胸腺(注5))で特異的に発現すること、(3)パチアショウジョウバエのネバーランドはコレステロールを代謝できず、代わりにラソステロールから脱皮ホルモン生合成のための中間産物を生合成できること、(4)パチアショウジョウバエと、コレステロールを基質とする他の生物種のネバーランドのアミノ酸配列を比較すると、パチアショウジョウバエの酵素機能を変化させる可能性があるアミノ酸部位はたかだか数ケ所のみであり、パチアショウジョウバエのネバーランドで変化している3カ所のアミノ酸を通常型タイプに人工的に変異させると、コレステロールを代謝できること。
 これらの結果は、パチアショウジョウバエが祖先型の通常のショウジョウバエから進化し、サボテンのみを餌にするという特殊な生育環境下で生存可能になったのは、たった1つの酵素の基質特異性を変化させるような遺伝子レベルの変化が決定的な役割を果たしたことを示しています。酵素の特性に変化を与える遺伝的変化が生物のライフスタイルの劇的な進化に関わることは、理論的には容易に予想されていましたが、今回のように酵素遺伝子と実際の進化が具体的に結びついた例はほとんどありません。今回の成果は、進化生態学的に極めて重要かつ先駆的なものであり、今後、遺伝子型の変化と表現型の変化を実際の生態学的な側面から理解する機運を多いに刺激すると思われます。

発表雑誌

雑誌名:「Science」(オンライン版: 9月28日号、印刷版:未定)

論文タイトル:Mutations in neverland have turned Drosophila pachea into an obligate specialist species.

著者:Michael Lang, Sophie Murat, Andrew G. Clark, Géraldine Gouppil, Catherine Blais, Luciano M. Matzkin, Émilie Guittard, Takuji Yoshiyama-Yanagawa, Hiroshi Kataoka, Ryusuke Niwa, René Lafont, Chantal Dauphin-Villemant, Virginie Orgogozo

問い合わせ先

東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻 教授
片岡宏誌(かたおか ひろし) TEL: 04-7136-5405/email: kataoka@k.u-tokyo.ac.jp

筑波大学生命環境系 准教授
丹羽隆介(にわ りゅうすけ) TEL&FAX: 029-853-4907/email: rniwa@biol.tsukuba.ac.jp

用語解説

(注1)ステロール: ステロイド骨格を持つ物質の1種であり、生体にとって重要な役割を果たす脂質の1つ。重要な生理活性を持つステロールの代表例として、動物においてはコレステロール、植物においてはカンペステロールやシトステロールが挙げられる(添付資料に文章中のステロールの化学構造式を示した)。

(注2)基質特異性: ある酵素反応が特定の基質のみを選択して、その特定の基質に対してのみ化学反応を起こすこと。

(注3)脱皮ホルモン: 昆虫のホルモンの一種。前胸腺から分泌されるステロイドホルモンで、脱皮または変態を促進する作用がある。エクジソンとも呼ばれる(添付資料に化学構造式を示した)。

(注4)Neverland(ネバーランド): 脱皮ホルモン生合成の出発材料であるコレステロールを基質として、7-デヒドロコレステロールと呼ばれる物質への変換を担う酵素。昆虫のみならず、線虫や、哺乳類を除く脊椎動物にも高度に保存されている。

(注5)前胸腺: 昆虫の幼虫や蛹期において、コレステロールから脱皮ホルモンを生合成するための内分泌器官。昆虫の前胸の体節領域に発生の起源を持つことからこの名称がある。

添付資料