記者発表

理論計算による高効率な磁気構造予測手法の開発に成功

発表のポイント

◆さまざまな磁性体が示す複雑な磁気構造を、高精度で効率よく予測できる計算手法の開発に成功し、既存の磁気構造データベースを用いた詳細なベンチマークを行った。

◆クラスター多極子と呼ばれる、新しい基本構造による磁気構造の生成手法を導入し、現実的なレベルまで計算コストを削減した。磁気構造データベースに基づく網羅的研究としても世界で初めての試みとなる。

◆本研究成果は、機能性反強磁性体の探索や設計に有用である。反強磁性体を用いた磁気デバイス素子等の形で社会還元されることが期待される。

発表概要

東京大学大学院新領域創成科学研究科博士後期課程学生のMarie-Therese Huebsch、同大学大学院工学系研究科物理工学専攻助教の野本 拓也(科学技術振興機構さきがけ研究者)、教授の有田亮太郎(理化学研究所チームリーダー)、東北大学金属材料研究所計算材料学センター准教授・大阪大学大学院基礎工学研究科スピントロニクス学術連携研究教育センター招へい准教授の鈴木通人(科学技術振興機構さきがけ研究者)らの研究グループは、さまざまな磁性体[1]が示す複雑な磁気構造[1]を、高精度で効率よく理論予測できる計算手法の開発に成功しました。これは、スピン密度汎関数理論[2]と呼ばれる計算手法と、同研究グループが提案したクラスター多極子理論[3]に基づいた成果で、既存の手法に比べて約30分の1程度の計算コストで磁気構造を予測することができます。本研究成果は、理論主導に基づく新規磁性体探索に有効で、次世代型磁気デバイス素子の開発に向けた磁性材料設計への貢献が期待されます。本成果は「Physical Review X」に216日付で掲載されました。

発表内容

研究の背景

私たちの身の回りで磁石として使われている強磁性体[1]は、磁気メモリと呼ばれる不揮発性メモリ[4]の材料として使用されています。これは、情報化社会の進展に伴い拡大する電力消費を抑え、持続可能な社会を実現するための鍵となる技術と考えられており、近年盛んに研究されています。一方、反強磁性体[1]と呼ばれる磁性体は、強磁性体に比べてノイズに対する耐性や動作速度に優れることが知られており、また漏れ磁場[5]がないため高密度集積にも向いています。しかしながら、その検出や制御の難しさがネックとなり、産業界への応用は進んでいません。

2015年、トポロジカル反強磁性体[6]Mn3Snにおいて強磁性体と同等の巨大な異常ホール効果[7]が報告され、2020年には電流による磁気構造とホール効果のスイッチング制御が実現されました。これらの発見は、ある種の反強磁性体は強磁性体と同様に検出や制御ができ、磁気デバイス材料として有望であることを示しており、大きな注目を集めています。Mn3Snの発見以降、多くの研究グループが同様の反強磁性体を探そうと努力してきましたが、現在までこのような機能的反強磁性体は見つかっておらず、その基礎物理の理解やデバイス応用へ向けた研究への障害となっています。この状況を打破するためには、機能性の面でMn3Snに匹敵・凌駕するような物質を発見し、その理解や物質探索を加速させることが重要です。

一方、このような反強磁性体の効率的な探索には理論計算による磁気構造や電子物性の予測が不可欠と考えられますが、特に正しい磁気構造を計算で予言することは極めて困難な問題として知られています。なぜなら、与えられた結晶構造に対して、磁気構造のパターンは無限に存在し、全ての構造の安定性を計算することは事実上不可能だからです。したがって、実際には何かしらの指針に基づき構造の数を絞る必要がありますが、うまく構造を選ばなければ最安定な磁気構造を見逃してしまう可能性があります。もし、現実の物質中で実現しやすい磁気構造を選択的に生成する計算アルゴリズムが存在すれば、それは理論主導に基づく磁性体の探索を大きく促進できると期待されます。

研究内容

近年、同研究グループでは、クラスター多極子理論に基づく磁気構造の生成アルゴリズムを開発しました。この理論では、無限に存在する磁気構造という問題を回避するため、物質中で自然に生じる磁気構造としてクラスター多極子というタネのような磁気構造を考え、それらをベースにして全ての磁気構造を表現します(図1)。本研究は、この磁気構造生成手法とスピン密度汎関数理論に基づく第一原理計算[2]とを組み合わせて、現実的な計算コストで安定な磁気構造を探索するための計算アルゴリズムを考案し、その有効性の詳細な検討を行ったものです(図2)。計算手法のベンチマークとして用いる実験的な磁気構造データベースとしては、MAGNDATAを利用しています。本手法は磁気構造データベースに含まれる広域の磁性体を系統的に適用、検証した世界で初めての磁気構造予測手法となります。

本研究で提案したアルゴリズムをMAGNDATA上の約130の磁性体に適用し、約4500の磁気構造に対して第一原理計算を実行した結果、実験的な磁気構造を82%の精度で予測できることがわかりました。また、電場や磁場に対する物質の応答を考える上で重要となる磁気空間群[8]に限れば、90%の物質で実験磁気構造と同じ対称性が得られています。さらに、実験磁気構造のうち96%は、基本単位として提案されたクラスター多極子の少数の組み合わせで表現できることが示され、本解析の有効性がわかります。

このような広域な磁性体に対する先行研究が存在しないため、従来の手法との比較は難しいですが、近年提案された遺伝アルゴリズムを用いた手法(MagGene)と比較すると、MagGene1つの物質の安定磁気構造を予測するのに約900回の第一原理計算を必要としたのに対し、本手法では平均30回程度の計算で安定磁気構造が得られます。したがって、計算コストも既存の手法に比べて30分の1程度に収まることがわかります。

社会的意義・今後の予定

このような磁気構造予測手法の開発は、磁気デバイス材料の基礎となる機能性反強磁性体を効率的に探索・設計する際の基礎となります。本研究で考案したアルゴリズムが、これら機能性反強磁性体の探索に使用され、将来的な反強磁性磁気デバイスの開発に向けた足がかりとなることが期待されます。

また本研究は、計算物理学の根幹をなす理論の一つであるスピン密度汎関数理論を磁気構造計算に適用する際の、世界で初めての系統的ベンチマークという側面も含んでいます。ここで得られた知見は、安定な磁気構造をより精度よく計算するための計算手法開発にも利用され、その発現機構の解明や新しい機構の提案など、様々な発展が期待されます。

なお、本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「トポロジカル材料科学と革新的機能創出」研究領域(研究総括:村上修一)における研究課題「第一原理計算に基づくトポロジカル磁性材料探索」課題番号JPMJPR20L7(研究者:野本拓也)、同事業 個人型研究(さきがけ)「理論・実験・計算科学とデータ科学が連携・融合した先進的マテリアルズインフォマティクスのための基盤技術の構築」研究領域(研究総括:常行真司)における研究課題「多極子理論とデータ科学の融合による物質設計」課題番号JPMJPR17N8(研究者:鈴木通人)、同事業 チーム型研究(CREST)「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」研究領域(研究総括:上田正仁)における研究課題「電子構造のトポロジーを利用した機能性磁性材料の開発とデバイス創成」課題番号 JPMJCR18T3(研究代表者:中辻知)、並びに文部科学省 科学研究費補助金(No. 15H05883 : 局在多極子と伝導電子の相関効果、No.16H06345 : 強相関物質設計と機能開拓 -非平衡系・非周期系への挑戦-、No. 19H05825 : 量子液晶の物性科学、No. 1901842:重い電子系化合物に対する第一原理計算手法の開発と応用、No. 20K21067 : 反強磁性ドメインの形成と制御の理論研究、No. 20H05262 : クラスター多極子法による準結晶の磁気構造と物性現象の研究)の一環として行われました。

発表雑誌

雑誌名:「Physical Review X

論文タイトル:「Benchmark for Ab Initio Prediction of Magnetic Structures Based on Cluster-Multipole Theory

著者:M.-T. Huebsch*, T. Nomoto, M.-T. Suzuki, and R. Arita

DOI番号:https://doi.org/10.1103/PhysRevX.11.011031

アブストラクトURLhttps://journals.aps.org/prx/abstract/10.1103/PhysRevX.11.011031

発表者

野本 拓也(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 助教)

Marie-Therese Huebsch (東京大学 大学院新領域創成科学研究科複雑理工学専攻 博士後期課程3年/理化学研究所 創発物性科学研究センター 国際プログラム・アソシエイト)

有田 亮太郎(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 教授/理化学研究所 創発物性科学研究センター チームリーダー 併任)

鈴木  通人(東北大学 金属材料研究所計算材料学センター 准教授/大阪大学 大学院基礎工学研究科スピントロニクス学術連携研究教育センター 招へい准教授)

用語解説

[注1] 磁性体・磁気構造・強磁性体・反強磁性体

結晶中の原子は電子の自転運動に起因した微小な磁石(スピン)をもつ場合があります。各原子のスピンが一様な方向に揃い、全体として磁石のように振る舞うものは強磁性体、それぞれが互いに打ち消しあっているものは反強磁性体と呼ばれます。物質中ではさまざまなスピン配置のパターンが実現しますが、これらの構造は総称して磁気構造と呼ばれます。

[注2] スピン密度汎関数理論・第一原理計算

量子力学のシュレディンガー方程式にしたがって、 物質中の電子の運動をコンピュータで計算する方法を第一原理計算と呼びます。密度汎関数理論は、第一原理計算の中でも電子密度をベースに物質の性質を計算する手法で、固体物理や量子化学の分野で頻繁に用いられています。この手法を磁性体に対して拡張した手法はスピン密度汎関数理論と呼ばれています。

[注3] クラスター多極子理論

電荷や磁荷の空間分布は、双極子や四極子などの多極子と呼ばれる概念で特徴付けられることが知られています。クラスター多極子理論は物質の磁気構造を多極子によって表現する手法で、各物質のもつ対称性の情報を陽に含んだ形で定式化されています。

[注4] 不揮発性メモリ

現在、コンピュータやスマートフォンなどで用いられているメモリは、情報の維持に電力を消費しています。情報の維持に電力供給を必要としないメモリは不揮発性メモリと呼ばれ、データセンターなどでの消費電力抑制のための鍵として期待されています。

[注5] 漏れ磁場

磁性体から外部へ漏れ出ている磁場のことを漏れ磁場と呼びます。漏れ磁場があると素子間に予期せぬ相互作用が生じてしまうため、高密度集積化が難しくなります。

[注6] トポロジカル反強磁性体

ベリー曲率と呼ばれる特殊な有効磁場を持つ反強磁性体をトポロジカル反強磁性体と呼びます。この有効磁場は電子構造のトポロジーに起因して生じるもので、反強磁性体であるにも関わらず、強磁性体に似た物性を示すことが知られています。

[注7] 異常ホール効果

印加した磁場および電流と垂直の方向に起電力が生じる現象をホール効果と呼びます。強磁性体やトポロジカル反強磁性体では外部から磁場を与えなくてもホール効果が生じ、これらを異常ホール効果と呼びます。

[注8] 磁気空間群

空間群とは結晶構造の持つ対称性を記述するために用いられる概念で、その物質に対して電場や磁場をかけた時の物質の反応と密接な関係があります。結晶構造だけでなく、磁気構造まで考慮した同様の概念は磁気空間群と呼ばれています。

添付資料

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図 1 クラスター多極子を用いた磁気構造表現の概念図。仮想クラスターと呼ばれる特殊な原子配列(A)と連続空間における多極子の概念(B)を組み合わせることで(C)、元の結晶における磁気構造(D)を表現します。結晶のもつ対称性によって異なったクラスター多極子を考えることで、現実の物質で実現する磁気構造をうまく再現することができます。

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図 2 磁気構造予測計算の概念図。クラスター多極子理論で生成した磁気構造を第一原理計算のインプットとして用います。それぞれの磁気構造に対してエネルギーを計算することで、その結晶構造において最も安定な磁気構造を探索します。

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