音楽演奏時の「あがりやすさ」を評価する心理尺度の開発 ――K-MPAI-R日本語版の妥当性検証――
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東京大学
発表のポイント
◆国際的に標準化された音楽演奏不安(いわゆる演奏時の緊張・あがり)の心理尺度であるKenny Music Performance Anxiety Inventory Revised(K-MPAI-R)の日本語版を作成し、妥当性を検証した。
◆国内で標準化された音楽演奏不安の心理尺度が存在しない中、本研究では、音楽演奏不安の個人特性を評価する、妥当性検証が行なわれた日本語の質問紙を初めて開発した。
◆日本語版K-MPAI-Rの活用により、国内における音楽演奏不安詳細な調査や、その結果の国際比較が可能となり、音楽演奏不安のメカニズムの解明やトレーニング手法の構築に役立つと期待される。
音楽演奏不安質問紙の日本語版の開発
概要
東京大学大学院新領域創成科学研究科の髙木咲恵大学院生、吉江路子客員准教授、村井昭彦客員准教授らによる研究グループは、国際的に標準化された音楽演奏不安(いわゆる演奏時の緊張・あがり、Music Performance Anxiety(MPA))の心理尺度であるKenny Music Performance Anxiety Inventory Revised(K-MPAI-R)の日本語版を作成し、その妥当性を検証しました。音楽演奏不安は、人前での演奏時に心理的・生理的な反応を引き起こし、演奏の質に悪影響を与え得る重要な要因です。音楽演奏不安の評価にはK-MPAI-R(Kenny, 2009)が広く使用されており、これまでに22の言語に翻訳されていますが、日本語版の妥当性検証は行われていませんでした。そこで本研究では、日本語版K-MPAI-Rの信頼性と妥当性を検証するため、プロ・アマチュア、器楽奏者・歌手を含む、400名の音楽家から回答を収集しました。その回答データを用い、K-MPAI-R日本語版の信頼性(注1)、構成概念妥当性(注2)、基準関連妥当性(注3)を確認しました。K-MPAI-R日本語版により、日本の音楽家の音楽演奏不安の割合や特徴をより詳細に調査でき、音楽演奏不安のメカニズムの解明やトレーニング手法の構築に役立つと期待されます。
発表内容
音楽演奏のためにステージに立つ際、その心理的プレッシャーによって、緊張・あがりを感じることがあります。これは、学術的には「音楽演奏不安:Music Performance Anxiety(MPA)」と呼ばれ、演奏中の心理・生理的な反応(例:集中力の低下、心拍数の上昇)を引き起こし、演奏の質を低下させる要因として知られています。70%の音楽家が音楽演奏不安を経験している(Wesner et al., 1990)という調査結果もあり、音楽家にとって普遍的な現象です。その程度やパフォーマンスへの影響は個人によって大きく異なります。
音楽演奏不安の評価には、心理学的尺度が重要な役割を果たしています。中でも、「Kenny Music Performance Anxiety Inventory-Revised(K-MPAI-R; Kenny, 2009)」は、MPAによる心理・生理的な反応や、MPAの要因を測定するために世界で最も広く使われている質問紙です。もともと英語で開発されましたが、その後、22の言語の翻訳版が作成され(Kenny, 2023)、各国の音楽家のMPA特性を把握するための基盤となっています。しかし、日本語版の作成とその妥当性検証は行われていませんでした。
本研究では、K-MPAI-Rの日本語版を作成し、その信頼性と妥当性を検証しました。まず、作成した日本語版原案について、プロ・アマチュアを含む7名の音楽家にインタビューを行いました。インタビューでは、日本語として不自然な項目はないか、音楽家の経験から違和感のある内容や言い回しはないか等について確認しました。インタビュー結果を基に、日本語版原案の一部修正を行いました。次に、国内の400名の音楽家を対象に、K-MPAI-R日本語版の回答を収集しました。400名の内訳は、プロ音楽家200名、アマチュア音楽家200名、また、器楽奏者309名、歌手91名であり、幅広い層の回答を収集しました。その回答データを用いて、質問紙の信頼性、構成概念妥当性、基準関連妥当性を確認しました。信頼性の確認には、クロンバックのα係数(注4)が用いられ、0.93という妥当な値を示しました。構成概念妥当性の確認のため、探索的因子分析(注5)が行われ、導出された因子構造は原版と類似していることが示されました。基準関連妥当性も、State-Trait Anxiety Inventory(STAI、注6)との相関係数0.67、およびPerformance Anxiety Questionnaire(PAQ、注7)との相関係数0.75という結果から支持されました。これらの結果は、K-MPAI-R日本語版が音楽演奏不安を測定する信頼性と妥当性のある尺度であることを示しています。
今後は、K-MPAI-R日本語版の活用により、国内において多様な楽器や音楽ジャンル、経験年数の異なる音楽家を対象とした研究が進むことで、より包括的な音楽演奏不安の理解と対策が期待されます。これは、音楽教育やメンタルヘルス支援の現場で、科学的根拠に基づく効果的な対策や介入方法の開発に役立つだけでなく、演奏の場に立つ全ての人がより自由に自己表現できる環境づくりにもつながります。また、趣味で楽器を始めた方や発表会や人前での演奏に緊張を感じる方にとっても、自分の気持ちと向き合いながら音楽を楽しむためのヒントとなることが期待されます。
引用文献
Kenny, D. T. (2009). The Factor Structure of the Revised Kenny Music Performance Anxiety Inventory. In: International Symposium on Performance Science. Utrecht: Association Européenne des Conservatoires, 37-41.
Wesner, R. B., Noyes, R., & Davis, T. L. (1990). The occurrence of performance anxiety among musicians. Journal of Affective Disorders, 18, 177-185.
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院新領域創成科学研究科
髙木 咲恵 博士課程
兼:産業技術総合研究所人間社会拡張研究部門 リサーチアシスタント
吉江 路子 客員准教授
兼:産業技術総合研究所人間情報インタラクション研究部門 主任研究員
兼:産業技術総合研究所人間社会拡張研究部門 主任研究員
村井 昭彦 客員准教授
兼:産業技術総合研究所人間社会拡張研究部門 研究チーム長
論文情報
雑誌名:Frontiers in Psychology
題 名:Validation of the Japanese version of the Kenny Music Performance Anxiety Inventory-Revised (Kenny Music Performance Anxiety Inventory-Revised日本語版の妥当性検証)
著者名:髙木咲恵*、吉江路子*、村井昭彦
DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1543958
URL:https://doi.org/10.3389/fpsyg.2025.1543958
研究助成
本研究は、産総研の内部研究費、及び、JSTさきがけ「社会的インタラクション時の感情制御訓練法の開発(課題番号:JPMJPR23IC)」の支援により実施されました。
用語解説
(注1)信頼性
尺度で測定しようとしている心理的現象を、誤差に影響されずにどれだけ一貫性をもって測定することができるか。
(注2)構成概念妥当性
尺度で測定しようとしている心理的現象を構成する概念が、その尺度の質問項目で確かに測定できているかどうか。
(注3)基準関連妥当性
作成した尺度の得点と、類似した既存尺度の得点がどの程度相関しているか。
(注4)クロンバックのα係数
尺度を構成する複数の項目の整合性の観点から、信頼性を示す指標の一つ。
(注5)探索的因子分析
多数の観測変数から、それらの背後にある因子を算出する分析手法。
(注6)State-Trait Anxiety Inventory(STAI)
「状態不安(State Anxiety)」と「特性不安(Trait Anxiety)」という2つの側面から不安を評価することを目的とした心理尺度。
(注7)Performance Anxiety Questionnaire(PAQ)
音楽演奏場面において、不安による心身の変化を経験する頻度を測定する心理尺度。