記者発表

乳がんリンパ節転移の「最初の瞬間」を捉える―がん細胞が転移するのに必要なこと―

投稿日:2026/03/04
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東京大学
聖マリアンナ医科大学

発表のポイント

◆最新の遺伝子発現解析技術を用いて、乳がんの極めて初期のリンパ節転移を単一細胞レベルで空間的に捉えました。
◆ヒト体内における転移初期の多様な「ハイブリッドEMT(上皮間葉転換)」状態を可視化し、真に予後不良を規定するのは一部のハイブリッドEMT細胞であることを突き止めました。
◆微小な転移や予後悪化の真因となる細胞集団を特定することで、より正確な再発リスク予測や個別化医療(プレシジョン・メディシン)の加速に貢献することが期待されます。

     初期の転移がん細胞

ヒトリンパ節における極めて初期の転移がん細胞

全文PDF

概要

東京大学大学院新領域創成科学研究科の鈴木穣教授と永澤慧特任研究員らの研究グループは、聖マリアンナ医科大学乳腺・内分泌外科学教室の津川浩一郎教授ら、国立研究開発法人国立がん研究センター東病院 乳腺外科の大西達也科長、株式会社ニコンほかとの共同研究により、ヒト体内における転移の「極めて初期の段階」を捉えることで、乳がんリンパ節転移の実体を明らかにしました。本研究では最新の空間的1細胞遺伝子発現解析技術(注1)を用いることで、リンパ節内のわずか30個の微小転移細胞(注2)を特定しました。このようなごく少数の細胞の検出と解析は最新の空間解析技術が初めて可能にしたものです。解析の結果、これらのがん細胞は多様な「上皮間葉転換(EMT、注3)」の状態にあり、その中でエネルギー代謝を「脂肪酸代謝(注4)」へ適応させた集団のみが、リンパ節内でのコロニー(転移巣)形成に成功していることが判明しました。一方で、大規模データとの照合により、患者さんの予後不良と強く関連するのは、リンパ節定着に成功した細胞や完全に間葉化した細胞ではなく、高い増殖能と解糖系代謝(注5)の特徴を持つ特定の「ハイブリッドEMT細胞」であることを突き止めました。
本成果は、転移の成立と予後悪化の詳細を浮き彫りにし、個別化治療戦略の加速に貢献する事が期待されます。

発表内容

乳がんにおいて、わきのリンパ節への転移は予後と強く相関する重要な因子ですが、転移が成立する最初期のプロセスを生体内で観察することは極めて困難なため、ブラックボックスとなっていました。研究チームは、1細胞解像度で位置情報と遺伝子発現を同時に解析できる「Xenium(ゼニウム)」プラットフォームを用い、原発巣、転移陽性リンパ節に加え、腫瘍ドレナージリンパ節(TdL)内に存在する、従来の病理検査では見逃されるレベルの極めて少数のがん細胞を解析しました(図1)。
  

図1遺伝子発現解析
図1:空間的1細胞遺伝子発現解析
a) 原発腫瘍(P)、転移陽性リンパ節(ML)、腫瘍ドレナージリンパ節(TdL)からサンプルを採取し、空間的1細胞遺伝子発現解析に供した。中央パネルはHE染色を示す。右パネルは解析結果の可視化を示す。解析から得られた主要細胞タイプが色別で提示されている。b) TdL内に存在するわずか30個の転移がん細胞。これらのがん細胞は、ML内に存在するがん細胞と比べ、転移の極めて初期段階にある状態を反映していると考えられる。

 

1.超早期転移細胞の多様性
注目すべきは、これら少数のがん細胞は均一な集団ではなく、転移の必須プロセスとされる「上皮間葉転換(EMT)」のさまざまな段階にある細胞が混在していたことです。研究チームはこれらの細胞を6つのサブタイプ(C1〜C6)に分類しました。これらは完全に間葉系に変化した細胞だけでなく、上皮と間葉の両方の性質を持つ「ハイブリッドEMT」状態の細胞を含んでいました(図2)。

 図2少数がん細胞の遺伝子発現解析
図2:TdL内に存在する少数がん細胞の遺伝子発現解析
a) 遺伝子発現状態に応じてがん細胞を6つのサブタイプ(C1〜C6クラスター)に分類した。b) それぞれのクラスターにおけるEMT関連分子の遺伝子発現。

 

2. リンパ節定着の鍵は「脂肪酸代謝」
これらの6つのサブタイプの中で、実際にリンパ節内で増殖し、コロニーを形成することに成功していたのは、特定の代謝適応を起こした細胞群(図3内のC4クラスター)でした。具体的には、エネルギー源をブドウ糖から「脂肪酸」に切り替える代謝シフトを起こした細胞が、リンパ節環境に適応して増殖していました。一方で、最も間葉系の形質へ変化し、浸潤能(注6)が高いと思われる細胞(図3内のC6クラスター)は、転移には関与していても、転移先での増殖・コロニー形成の主役ではありませんでした。

 図3解剖学的配置と生物学的意義
図3:各クラスターの解剖学的配置と生物学的意義
左)各クラスターの組織上の分布。右)各クラスターの遺伝子発現値を用いたエンリッチメント解析。それぞれのクラスターで特徴的に発現している遺伝子群が、どのような機能や生体内の経路に関係しているかを示す。

 

3. 予後を真に決定づける「ハイブリッドEMT」
研究チームは、本研究で得られた6つのクラスターの遺伝子発現から特徴を抽出し、すでに公開されている大規模な公共データセット(METABRICなど)と照合し、患者の予後との関連を調査しました(図4)。その結果、患者の予後不良と最も強く相関したのは、リンパ節定着に成功した「脂肪酸代謝型細胞(C4)」でも、最も間葉系への変身が進んだ「間葉系細胞(C6)」でもない、高い細胞増殖活性(G2/M期)と解糖系代謝の特徴を併せ持つ「一部のハイブリッドEMT細胞(C5)」ということが分かりました。これは、「完全に間葉系化した細胞が最も悪性度が高い」という従来の転移に対するイメージを覆す、ヒト生体内では初めて得られた知見です。

図4予後解析

図4:METABRICコホートを用いた予後解析
6つの各クラスターの遺伝子発現特徴量を用いてスコアを算出。赤(高スコア群)と青(低スコア群)の線が示すカプラン・マイヤー生存曲線は、クラスターごとの無病生存期間の差を示す。

 

結論と意義
本研究から、乳がんリンパ節転移の実体が「単一の細胞」によるものではなく、異なる役割(ニッチ(微小環境)への定着、免疫回避、増殖など)を持つ多様なハイブリッドEMT細胞集団によるものであることが示されました。転移の成立にはこれらの細胞の「協調的なプロセス」が必要である可能性が示唆されます。特に、リンパ節への定着能力(代謝適応)と、乳がん患者さんの予後に関連する能力(増殖・解糖系)が、異なる細胞集団によって担われていることを明らかにした点は、今後のより正確な再発リスク予測や個別の治療戦略(代謝阻害薬の活用や、特定のリスク細胞の標的化)の加速に貢献することが期待されます。

 

研究助成

本研究は、JSPS科研費(課題番号:JP24K11738、JP23K27160、第1期先進ゲノム支援JP16H06279(PAGS)、第2期先進ゲノム支援JP22H04925 (PAGS))」、AMED 革新的がん医療実用化研究事業(課題番号: JP21ck0106700)、および「株式会社ニコン」の支援により実施されました。本研究にご協力いただいた全ての皆様に深く感謝いたします。

発表者・研究者等情報

東京大学 大学院新領域創成科学研究科
附属生命データサイエンスセンター
鈴木 穣 教授
関 真秀 特任准教授
永澤 慧 特任研究員
メディカル情報生命専攻
鍛冶屋 景子 研究当時:博士課程

聖マリアンナ医科大学
乳腺・内分泌外科学教室 
津川 浩一郎 主任教授
岩谷 胤生 教授
本吉 愛 講師
病理学教室
小池 淳樹 主任教授
中村 勝  主幹
久保田 学 主査

国立研究開発法人国立がん研究センター東病院 乳腺外科
大西 達也 科長

北里大学北里研究所病院 病理診断科
前田 一郎 部長
星野 昭芳 医長

株式会社ニコン
髙塚 賢二
両角 明彦

など、計18名

     

論文情報

雑誌名npj Breast Cancer
題 名:Spatial Gene Expression Analysis Reveals Drivers of Extremely Early Lymph Node Metastasis in Breast Cance
著者名:Satoi Nagasawa, Keiko Kajiya, Erina Ishikawa, Akinori Kanai, Ayako Suzuki, Ai Motoyoshi, Tsuguo Iwatani, Manabu Kubota, Masaru Nakamura, Tatsuya Onishi, Akiyoshi Hoshino, Ichiro Maeda, Akihiko Morozumi, Kenji Takatsuka, Junki Koike, Masahide Seki, Koichiro Tsugawa, Yutaka Suzuki*   *責任著者
DOI:10.1038/s41523-026-00897-1
URLhttps://www.nature.com/articles/s41523-026-00897-1

     

用語解説

(注1)空間的1細胞遺伝子発現解析技術
細胞の遺伝子を鋳型にしてRNAが合成されることを遺伝子発現と言います。近年の技術進歩により、1細胞レベルの遺伝子発現を網羅的に測定できるようになりました。ですが、測定に使った細胞が組織のどこにあったかという位置情報が失われる、という欠点がありました。空間的1細胞発現解析は、多様な種類の組織・細胞の空間的な位置情報を単一細胞レベルで保ちつつ、遺伝子発現情報を取得し視覚化する技術です。本研究で用いた、Xeniumの他、複数の技術が報告されています。

(注2)微小転移細胞
通常の画像検査(CTやPETなど)では見つけられない、数ミリ以下の非常に小さい転移がん細胞。

(注3)上皮間葉転換 (EMT: Epithelial-Mesenchymal Transition)
がん細胞が転移する際に獲得する「変身能力」のことです。
上皮(Epithelial):細胞同士がくっついて、動かない状態(通常の皮膚や粘膜など)。
間葉(Mesenchymal):細胞同士の結合が緩み、動き回ることができる状態。
がん細胞は通常「上皮」の性質を持ちますが、転移する際には「間葉」の性質を獲得して血管やリンパ管に入り込みます。今回の研究では、完全に間葉になる前の上皮と間葉の性質を併せ持つ「ハイブリッド(中間)」状態にあるがん細胞が最も悪性度に関与していることが示されました。

(注4)脂肪酸代謝
食事や体脂肪から得られる脂肪酸を分解し、身体を動かすエネルギーであるATPを産生するプロセスのこと。今回の研究では、がん細胞が転移先のリンパ節の環境に適応するために、自身の代謝を脂肪酸代謝に変更している姿が捉えられました。

(注5)解糖系代謝
細胞質でグルコース(ブドウ糖)をピルビン酸に分解し、エネルギー物質であるATPを生成する無酸素の代謝過程。脂肪酸代謝(注4)と同様に、がん細胞の生き残り戦略の1つとして捉えられています。

(注6)浸潤能
がん細胞などが周囲の正常組織を破壊・分解しながら、しみ込むように広がっていく能力のこと。

関連研究室

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