嗅覚受容体におけるアンタゴニズムの解析とその生理的意味                                             分子認識化学分野 

       学生証番号 26512  岡 勇輝

【序論】

数十万種類にも及ぶ匂い分子は、7回膜貫通型Gタンパク質共役型受容体(GPCR)ファミリーに属する嗅覚受容体によって認識される1)。鼻腔内に局在する1つ1つの嗅神経細胞は数百種類のうち1種類の嗅覚受容体のみを選択的に発現することが知られている。そのため、個々の匂い分子は異なる嗅覚受容体群を活性化し、その組み合わせが匂いの質を決定するコードの役割を果たしている(図2参照)。嗅覚における神秘的な現象のひとつとして、複数の匂いを混ぜると、新たな質の匂いが生まれる、ということが挙げられる。この現象は古くから心理学的、経験的に知られているにも関わらず、その分子メカニズムは全く未知であった。本研究では、GPCRとしての嗅覚受容体という観点から、この現象は匂い分子が嗅覚受容体の匂い応答を阻害することによって、活性化される受容体の組み合わせが変化するために起こるものであると予想した。

 マウス嗅覚受容体であるmOR-EG受容体は、クローブ様のスパイシーな香りを呈するオイゲノール(EG)をリガンドとして認識することが知られている2)。そこで、本研究ではmOR-EG受容体を用いて、嗅覚受容体における匂い分子同士の応答阻害について詳細な分子機構の解析を試みた。さらに、匂い分子が嗅覚受容体の匂い応答を阻害することの生理的意味の解明を目指した。

 

【結果および考察】

1.mOR-EG受容体を阻害するアンタゴニストの同定と薬理学的解析

 まず、mOR-EG受容体を培養細胞に強制発現させ、EGに対する匂い応答を阻害するような匂い分子の探索を行った。細胞内Ca2+濃度変化を指標としたCa2+応答アッセイにより、500種類の匂い分子のスクリーニングを行った結果、EG応答は類似構造を持つ匂い分子であるメチルイソオイゲノール(MIEG)、イソサフロール、および酸化的重合を受けたイソオイゲノール二量体の存在下で有意に阻害された(図1)。

そこで、培養細胞において詳細な速度論的解析を行ったところ、これらの物質は、mOR-EG受容体のリガンド結合部位において競合的に、また濃度依存的にEG応答を阻害し、mOR-EG受容体の競合的アンタゴニストであることが明らかになった。

 次に、嗅上皮より単離した嗅神経細胞を用いたCa2+応答アッセイにより、嗅神経細胞に発現するmOR-EG受容体においても、EG応答がMIEG存在下で濃度依存的に阻害された。これらの結果から、MIEGは嗅神経細胞に発現するmOR-EGに対しても競合的アンタゴニストであることが示された。

2.匂い分子による嗅覚受容体の活性化および阻害

 一方、MIEGが匂い応答を引き起こす嗅神経細胞も存在した。すなわち、MIEGmOR-EGの応答を阻害するだけでなく、別の嗅覚受容体にはアゴニストとして応答を引き起こすことが明らかになった。さらに、新生マウスの嗅上皮生切片を用いて3)EGMIEG、そしてこれらの混合溶液の3種類を投与してCa2+応答アッセイを行った結果、EG応答がMIEG存在下(混合溶液中)で阻害される嗅細胞が存在した一方で、MIEG応答がEG存在下で消失する嗅細胞も見られた。これらの結果は、匂い分子が嗅覚受容体に対してアゴニスト、アンタゴニスト両方の働きをもつことを示すと同時に、匂い分子が他の匂い応答を阻害するという現象が、生理的条件下でも起こり得ることを強く示唆する。

匂いの質は、活性化される嗅覚受容体の組み合わせ(受容体コード)により決定される。本研究の結果は、匂いを混ぜた時の受容体コードは、単純にそれぞれの匂い分子の受容体コードの足し算にはならず、匂い分子同士の応答阻害により新たな受容体コードが生まれることを示している(図2)。これは我々が日常でしばしば経験する、匂いを混ぜると全く新しい質の匂いが生じて、元の匂いがわからなくなるという現象のメカニズムを、受容体レベルで解明したものである

 

3.EGを認識する嗅覚受容体群の同定

 嗅神経細胞を用いたCa2+応答アッセイでは、EGMIEGに対する応答性の異なる複数の細胞が存在した。そこで、マウスゲノム情報データベースをもとに設計した縮重プライマーを用いて、EGを認識する嗅覚受容体遺伝子のクローニングを試みた。その結果、EGに対して異なるEC50を持つ6種類の嗅覚受容体を同定した。これらは、嗅神経細胞においてEGに対する受容体コードの役割を持つと考えられる。今後、嗅上皮で形成されたこれらの受容体コードが、どのようにして嗅球や高次神経に統合され、さらには生物の認識する“匂い”感覚を構築するのかは非常に興味深い。

 

【結論】

     マウス嗅覚受容体mOR-EGEG応答を阻害する匂い分子を同定し、速度論的解析により、それらの分子は競合的アンタゴニストであることを明らかにした。

     匂い分子が嗅覚受容体に対してアゴニスト、アンタゴニスト両方の働きを持つことを示し、嗅覚受容体レベルで匂い応答を阻害し合うことを実証した。これらの結果により、匂いを混合した際に、新たな質の匂いが生じるという現象が受容体レベルで証明された。

     EGを認識する薬理学的性質の異なる複数の嗅覚受容体群を同定した。これらの知見をもとに、嗅神経細胞レベルでの応答が、嗅球へ、さらにはより高次へどのように統合されていくかを解析することができると考えられる。

     本研究の成果の一部は以下の論文に発表した4)

 

[文献]

1) Buck L. and Axel R. (1991) Cell, 65, 175-187

2) Kajiya et al., (2001) J Neurosci, 21, 6018-6025

3) Omura et al., (2003) Neuroreport, 14, 1123-1127

4) Oka et al., (2004) EMBO J. 23, 120-126