新東京大学大学院領域創成科学研究科
「運動による海馬ニューロン新生の増強機構の解明
 〜運動による認知症予防へ新たな展開」

発表概要

 年齢を重ねるにつれて記憶力や学習効率は低下してしまうが、この現象には海馬で新しく生み出されてくるニューロン数の減少が関与している。今回、老齢マウスを用いた研究によって、かなり高齢になっても、運動によって海馬の神経幹細胞が活性化し細胞増殖が増強することで、新生ニューロンの数が増加することが判明した。この運動による神経幹細胞の活性化には、アセチルコリンニューロンが必要であることがわかった。また、アルツハイマー病の治療に使われている薬剤(ドネペジル)によって脳内のアセチルコリンの量を増やすことによっても、神経幹細胞の増殖が増強され、ニューロン新生が促進されることがわかった。運動によって中高齢者の認知機能が改善されることは良く知られているが、今回の研究から、運動は、薬と同じような仕組みで脳に働きかけることで、脳の老化防止に効いていることがわかった。本成果が、認知症の予防に関する新たな応用研究の展開に道を拓いていくことが期待される。

発表内容

 成人になっても海馬では新しくニューロンが生まれている。この新生ニューロンは学習や記憶などに関わる重要な細胞である。ところが残念なことに、年齢を重ねると、海馬の新生ニューロンを生み出す能力はどんどん低下してしまう。海馬ニューロン新生能の低下は、加齢性の脳機能低下と密接な関係がある。それでは、どうしたら、高齢になっても新生ニューロンの数を増やしていけるのだろうか?
 東京大学大学院新領域創成科学研究科の伊藤佳絵(大学院博士課程3年)と久恒辰博准教授らの研究グループは、生後2年以上の老齢マウスを用いて運動や薬剤によってニューロン新生を増強させる仕組みについての研究を行った。本研究では、老齢動物でその分泌量が減少するが、運動によって海馬での放出が高まる神経伝達物質アセチルコリンのはたらきに着目した。特に、このアセチルコリン刺激によって、新生ニューロンの素になる海馬神経幹細胞の増殖性が高まるかどうかを調べた。実験では、まず、老齢マウスの海馬神経幹細胞が、アセチルコリンに対して応答性を示すことを、急性海馬スライスを用いたカルシウムイメージング試験において確認した。この神経幹細胞に、アセチルコリンに対する受容体が発現していることも免疫染色によって確かめた。
 運動実験には、回し車によるランニング運動で活動期(マウスの場合は夜行性なので夜間)に2時間当たり363メートル以上走った“GOOD RUNNER”老齢マウスを使用した(脚注を参照)。その後、3日間にわたり、回し車のある環境で飼育されたランニング群では、一匹あたり平均720個の神経幹細胞が分裂していることがわかった。一方、回し車のないケージの中で飼育された運動不足群では、一匹あたり298個の神経幹細胞しか分裂していなかった。また、薬剤によってあらかじめアセチルコリンニューロンのはたらきを抑える処置をした老齢マウスでは、回し車のある環境で飼育しても、一匹あたり178個の神経幹細胞しか分裂していないことがわかった。この運動実験の結果から、運動による神経幹細胞の増殖増強には、アセチルコリンニューロンが必要であることがわかった。
 次に薬剤投与試験を行った。本研究では、現在認知症の治療のために全世界的に処方されており、アセチルコリン系に作用することが知られているドネペジル塩酸塩を使用した。老齢マウスにドネペジルを1日一回、2mg/Kgの量で3日間投与したところ一匹あたり556個の神経幹細胞が分裂していることがわかった。薬を投与しなかったコントロール老齢マウスの場合、一匹あたりの分裂神経幹細胞の数は156個であった。この薬剤投与試験の結果から、ドネペジル投与によって、脳内に分泌されるアセチルコリンの量を増やすことによっても、神経幹細胞の増殖が増強されることが確かめられた。
 今回の研究において、ランニング運動あるいは薬剤投与によって脳内のアセチルコリン系を活性化することで、老齢動物においても神経幹細胞の増殖が増強されることを世界で始めて見出した。ランニング運動が認知症治療薬と同じような仕組みで海馬ニューロン新生を高めていることを発見できた。私たちは、以前の研究において、高齢になっても神経幹細胞の数は保存されていることを高齢と若齢のカニクイザルを用いた研究で見出している。今回、運動(あるいは薬剤投与)によって高齢脳に残された神経幹細胞の細胞増殖を強化し、新生ニューロンの数を増やしていく方法を見つけられた。今後は、この新生ニューロンを適切に育てて行く方法を併せて模索していくことなどを通じて、年齢依存的な脳機能の減衰を改善し、認知症の予防や発症リスクの低下に関する応用研究が展開されていくことが期待される。

発表雑誌

 米国科学誌「Hippocampus (ヒポカンパス)」
2010年1月19日(火曜日) オンライン版公開

問い合わせ先

久恒辰博 准教授
東京大学大学院新領域創成科学研究科 先端生命科学専攻
〒277-8562 千葉県柏市柏の葉5-1-5 東京大学新領域生命棟402
TEL/FAX:04-7136-3632   e-mail:hisatsune@k.u-tokyo.ac.jp

用語解説

神経幹細胞
神経幹細胞成体では海馬の歯状回などに存在し、この細胞が増殖・分化することによって、新生ニューロンが生まれる。右図に、細胞増殖マーカーであるブロモデオキシウリジンによって標識された海馬神経幹細胞の分裂像を示した(矢印で示した二つの細胞)。図中、神経幹細胞は二つのマーカー(ネスチン-GFPとGFAP)によって染色されている。スケールバーの大きさは10マイクロメートル(μm)である。
GOOD RUNNER
実験には、左下図にあるような小動物用回し車を使用した。回転数を計測する装置がついているので、円の直径と回転数から走行距離が算出できる。GOOD RUNNER老齢マウスの場合、回し車のある環境で飼育してもあまり運動しない個体も多い。そこで、時間当たりの走行距離が平均以上である個体をよく運動するマウス「GOOD RUNNER」とし、実験に用いた。ランニング運動の最中には、海馬において特別な脳波(シータ波)が観察されるが、この脳波の発生とアセチルコリンニューロンのはたらきには密接な関係があるといわれている。また、運動中には、海馬におけるアセチルコリンの放出が高まっていることも報告されている。

研究室ホームページ http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/hisatsune-lab/




▲このページの先頭へ
All Rights Reserved, Copyright(C), Graduate School of Frontier Sciences, The University of Tokyo