負の制御機構による神経配線:神経細胞にNoというシグナルを発見

2007年8月31日

東京大学 大学院新領域創成科学研究科 複雑理工学専攻 教授 能瀬 聡直
同 学術研究支援員 稲木 美紀子

研究概要

 ヒトも含めた動物の体内では、多数の神経細胞がそれぞれ決まった相手(神経細胞や筋肉)と結合することで、機能的な神経回路が形作られている。発生過程において、神経細胞は、多数の細胞の中から、いかにして自分の結合相手を間違えなく見つけ出すのか? 古くより標的細胞上に存在し「目印」となるような分子の関与が示唆されているが、その実体はほとんど分かっていない。
 われわれは、本学先端科学技術研究センターの油谷浩幸教授と共同で、特定の神経標的細胞を特徴づけるような「目印」を系統的に探索する新たな手法を開発した。さらに、この手法を用いて同定したWnt4という分泌蛋白質が、特定の標的細胞に発現し、神経細胞に対し「こちらに来るな」という負の目印として働くことにより、正しい神経配線を実現することを見いだした(参考図)。今回初めて明らかになった、負の制御機構による神経結合決定の仕組みは、神経回路形成の理解に大きく貢献するとともに、神経再生治療の際に神経を目的の領域に誘導するための有効な手段を提供するかもしれない。

研究内容

 脳神経系を構成する多数の神経細胞は、それぞれ正確な配線を通じて決まった相手と結合することにより、機能的な神経回路を形づくる。例えば、われわれが、親指を動かしたいと思ったときに、ちゃんと動かすことができるのは、脳からの指令がいくつかの神経細胞をリレーして、最終的に親指の筋肉を刺激するからである。このような神経間の配線は発生過程において、神経細胞が突起を伸ばし、標的の細胞と結合することにより形成される。上記の例でいえば、親指の筋肉を刺激する運動神経が、他の指でなく、親指の筋肉と正確に結合しているので、われわれは、親指を動かすことができるのである。多数の細胞が存在する複雑な生体組織の中で、神経細胞はどうやって、結合相手を間違えなく識別するのか? 古くより、個々の標的細胞上に存在する、「目印」分子の関与が示唆されており、実際、神経細胞に対して、「こちらにおいで」と誘引的に働きかける作用を持つような分子が少数であるが見つかっている。しかし、このような分子の働きだけでは、神経結合の仕組みを十分に説明できなかった。
 このような目印分子の研究が進んでいない理由として、次の2点があげられる。まず、多数の細胞が複雑にからまりあった脳神経系のなかで、特定の細胞においてのみ存在するような微量の分子を見つけ出すことが技術的に困難であること。次に、仮にそのような分子を見つけても、その機能を生きた動物の中で調べることが難しいこと、である。今回、我々は、ショウジョウバエの神経系をモデルとして、特定の標的細胞に存在する目印分子を網羅的に探索する新技術を開発した。さらに、この技術を用いて同定したWnt4という分泌蛋白質の機能を、ショウジョウバエの発達した遺伝子操作技術を用いて生体内で調べた。その結果、「負の目印」という、これまで知られていなかった仕組みにより、標的の特異性が決定されることを見いだした。
 ショウジョウバエ幼虫の運動神経が、腹部の特定の筋肉に配線する過程を調べた。ヒトの運動神経が親指と人差し指を見分けるように、ショウジョウバエの運動神経も、隣り合った個別の筋肉を区別して正確に配線するので、筋肉上で働く目印分子の存在が予想された。このような目印分子(蛋白質)をつくる遺伝子は、筋肉間で異なった発現をすると予想される。そこで、DNAマイクロアレイ(用語解説)という技術を用い、一つ一つの筋肉細胞において、ショウジョウバエのほぼすべての遺伝子の発現を解析し、目印の候補となるような遺伝子を探索した。具体的には、1mmにも満たないショウジョウバエの胚を解剖し、個々の標的筋肉を、一本ずつ微小ガラスピペットにより直接取り出し、そこから得られる微量のRNA(遺伝子の転写産物)を増幅し、マイクロアレイ解析を行った。その結果、運動神経が筋肉を識別する際に重要な役割をもつ分泌タンパク質Wnt4を見いだした。
 Wnt4は、異なった運動神経と結合する隣り合った2つの筋肉(筋肉AとBとよぶ、図参照)のうち、Bにおいてのみ発現していた。遺伝学的にWnt4を欠失させると、本来筋肉Aと結合する運動神経が、筋肉Aに加え、本来結合しないはずの筋肉Bにも結合するようになった。逆に、Wnt4を筋肉Aで人工的に発現させると、筋肉Aにおける神経結合形成が阻害された。これらの観察結果は、Wnt4が筋肉Bにおいて発現し、筋肉Aと結合するべき運動神経に対し阻害的に働きかけることにより、それらがBではなくAと結合するように制御していることを示唆している。これまでに、標的細胞に発現し、「こちらにおいで」という誘因的な働きを通じて標的特異性を決めるような分子の候補がいくつか見つかっている。本研究は、このような正の制御機構だけでなく、非標的細胞からの「こちらにくるな」という負の制御機構が、神経結合の特異性の決定に必須の役割を果たすことを初めて示すものである。
 Wnt4と似た分子はほ乳類でも見つかっているので、本研究で明らかになった「負の目印」を介した神経結合の仕組みは、ヒトを含めた他の動物にも同様に存在する可能性が高い。本研究は、神経細胞が標的細胞を見分ける仕組みの理解に、大きく貢献するものである。また、将来的には、交通事故などにより損傷した神経を再生治療する方法の開発にも役立つ可能性がある。損傷した神経を再生させる際に、不適切な標的と結合しないように、Wnt4のような分子で調節することにより、正しい標的細胞へと導くことが可能となるかもしれない。

発表雑誌
 Current Biologyonline版、2007年8月30日号に掲載
  Mikiko Inaki, Shingo Yoshikawa, John B. Thomas, Hiroyuki Aburatani and Akinao Nose
“Wnt4 is a Local Repulsive Cue That Determines Synaptic Target Specificity”

問い合わせ先

能瀬 聡直
(東京大学大学院新領域創成科学研究科・複雑理工学専攻
  兼任:東京大学 大学院理学 系研究科 物理学専攻)
TEL:03-5841-8724  FAX:03-5841-4445  Eメール:nose

用語解説

DNAマイクロアレイ ・・・ DNAマイクロアレイ(DNAチップともよばれる)とは、細かく区切られた基盤の上に、遺伝子の部分配列を高密度に配置し固定したもので、数万から数十万の遺伝子発現を一度に調べることが可能である。例えば、ショウジョウバエの遺伝子数は1万5千程度であるが、そのほぼすべての遺伝子断片を一つの基板上に固定したものが市販されており、組織や細胞から精製した転写産物とハイブリダイゼーション(対となる遺伝子配列が強く結合すること)することによって、各遺伝子の発現量を測定することが可能である。各遺伝子の発現を異なった細胞間で比較することにより、細胞の個性のもととなる遺伝子発現の差異を抽出できる。しかし、ハイブリダイゼーションに一定量の転写産物が必要であることから、個々の神経細胞やその標的にこの技術を適用するのは困難であった。

参考図

参考図:「負の目印」による神経配線
「負の目印」による神経配線

 

 

 

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