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スパースモデリングにより電子のさざなみを見る ―走査トンネル顕微・分光法による準粒子干渉計測の高速・高精度化―

 

発表者

中西(大野)義典(東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系 助教)
土師将裕(東京大学物性研究所ナノスケール物性研究部門 博士課程3年)
吉田靖雄(東京大学物性研究所ナノスケール物性研究部門 助教)
福島孝治(東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系 准教授、物質・材料研究機構情報統合型物質・材料研究拠点 招聘研究員)
長谷川幸雄(東京大学物性研究所ナノスケール物性研究部門 准教授)
岡田真人(東京大学大学院新領域創成科学研究科複雑理工学専攻 教授)

発表のポイント

◆非従来型超伝導やトポロジカル量子現象などの量子多体系における物理現象の解明に有効である走査トンネル顕微・分光法による準粒子干渉計測の効率を高めた。
◆スパースモデリングというデータ解析手法を用いて、これまでより高速に電子状態を推定する手法を開発した。
◆普遍的なデータ解析手法を学融合的に探究するデータ駆動科学と呼ばれる分野で生物学や地学を中心に発展したスパースモデリングが物性計測にも有効であることを示した。

発表概要

 東京大学大学院総合文化研究科の中西(大野)義典助教(研究当時:同大学院新領域創成科学研究科大学院生)と同大学院新領域創成科学研究科の岡田真人教授は、同物性研究所の土師将裕博士課程3年、吉田靖雄助教、長谷川幸雄准教授、および同大学院総合文化研究科の福島孝治准教授と共同で、スパースモデリング(注1)と呼ばれるデータ解析手法を走査トンネル顕微・分光法(STM/S、注2)に適用し、物質表面の「電子のさざなみ」をこれまでより高速に計測する枠組みを開発しました。近年、さまざまな分野の高次元計測データから科学的知見を効率的に抽出するために、分野によらない普遍的な方法論を探求するデータ駆動科学(注3)が興っています。生物学や地学を中心に発展しているデータ解析の方法論であるスパースモデリングが物性計測にも有効であることを示した本成果はデータ駆動型物性科学の嚆矢となります。
 物質表面では欠陥(注4)や不純物により散乱された電子が互いに干渉し、準粒子干渉(QPI)パターンと呼ばれる「さざなみ」を生じます。このさざなみをSTM/Sを用いて計測するQPI計測という手法により、その物質固有の電子的性質を明らかにすることができます。そのため、このQPI計測は非従来型超伝導やトポロジカル量子現象(注5)のような新規物性の解明に威力を発揮します。しかし、その長大な計測時間がこの手法の普及を妨げてきました。本研究グループは、QPI計測に要する時間を削減するために電子状態のスパース性に着目しました。スパースとは「少ない」や「疎ら」を意味し、ここでは物質中の電子がとりうる状態が限られていることを指します。データへの適合とスパース性とを同時に要請するスパースモデリングの解析手法を用いると、従来と比べて少量のデータからでも電子状態を推定できることを示しました。今回の研究結果はQPI計測の裾野を広げ、物性研究を一層加速させることが期待されます。
 本研究は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)「スパースモデリングの深化と高次元データ駆動科学の創成」(領域代表者:岡田真人)の助成を受けて行われました。

発表内容

 近年、データ駆動科学と呼ばれる学融合的な分野が注目を集め、通常は別々に研究することの多いさまざまな分野の自然科学の研究者と情報科学の研究者が共同参画し密接に連携しています。データ駆動科学は、自然科学で得られる高次元の計測データから効率的に科学的知見を得るために、分野によらない普遍的な方法論を探求します。本研究では、生物学や地学を中心に発展したスパースモデリングと呼ばれるデータ解析の方法論を物性計測に適用しました。スパースモデリングが生物学・地学だけでなく物質科学においても有効であると示した本研究はデータ駆動型物質科学の嚆矢となります。
 本研究の計測対象である金属や半導体のような物質の表面では、電子が欠陥や不純物のような局所的な不規則構造により散乱されます。散乱された電子は互いに干渉し、準粒子干渉(QPI)パターンと呼ばれるナノスケールの「さざなみ」が見られます。このさざなみは量子力学における電子の波動性を如実に示すものであり、その波数が電子の運動量に対応しています。近年、走査トンネル顕微・分光法(STM/S)によりQPIを計測することは新規物性が創発する機構を調べる実験手法として定着しつつあります。STM/Sにより得られる局所状態密度のマッピングをフーリエ変換することにより、電子状態の分散関係が得られます。実際に、STM/SによるQPI計測を通じて非従来型超伝導体やトポロジカル絶縁体の研究に用いられています。しかしながら、QPI計測は計測時間が一週間に及ぶこともあり、長時間にわたって装置を安定して稼働させるのが困難であるために普及の妨げとなっています。
 こうした問題点を受けて、本研究グループは、従来の解析手法では電子状態の推定に失敗するような少量のデータからでも、スパースモデリングを用いて推定を可能にする手法を開発しました。入手可能なデータ量が限られているとき解が一意に定まらないという問題が生じますが、スパースモデリングでは、対象とする系のスパース性を仮定することにより複数ある解の候補から正解を導きます。スパースモデリングの代表的な解析手法の一つであるLeast Absolute Shrinkage and Selection Operator(LASSO)は、データへの適合とスパース性を同時に要請することにより、データを説明するのに不可欠な少数の、すなわちスパースな、説明変数を自動的に抽出します。
 STM/SによるQPI計測では、電子状態のスパース性を活用することが効果的です。物質中の電子は、与えられたエネルギーに応じて実現される状態が限られます。したがって、図1(a)に示す銀の(111)表面の空間変調パターンをフーリエ変換すると、図1(b)に示すように、電子状態を表す波数成分はほとんどがゼロになり少数の非ゼロ成分のみで説明されるとわかります。本研究では、図1(a)に示すデータを間引いて得られるデータのみを用いて図1(b)に見られるQPIパターンの波数空間像が再現できるかを議論します。なお、銀の(111)表面の表面状態は自由電子的に記述され、等方的な円環の波数空間像をもつことが知られていますが、本研究ではその事実は知らないものとしてスパースモデリングの有効性を評価しています。
 図1(a)のデータをランダムに9分の1に間引いたデータに従来法、LASSOを用いて解析した結果を図2(a)、(d)にそれぞれ示します。従来法では円環パターンがノイズに埋もれてしまっていますが、スパースモデリングに基づいてLASSOを用いると円環パターンが鮮明に見られます。一方で、図2(b)、(c)に示すように、規則的に間引いたデータを用いた場合はエイリアシングノイズが生じたり、中央部のデータのみを用いた場合は円環パターンが途切れたりしています。こうした影響はLASSOを適用しても取り除けないことが図2(e)、(f)を見ると分かります。スパースモデリングによるQPI計測の高速・高精度化は、LASSOという解析手法とランダム計測の相乗効果により達成されます。
 本研究では、STM/SによるQPI計測においてスパースモデリングが有効に働くことを示しました。今回の提案された測定法を用いると、短い周期の結晶構造から、長い周期を持つ電子定在波まで幅広い周期の同時観察がより高精度で行えるようになると予想されます。そのために、特に複雑な電子構造を持つ物質(例えば、銅酸化物超伝導体に比べてより複雑なバンド構造を持つ、鉄系超伝導体や重い電子系超伝導体、さらには最近話題のワイル半金属など)の電子状態の解明などに役立つと期待されます。また、原理的には測定時間が9分の1以下となるため、これまで実験装置に関する制限(測定の長時間安定性)から参入が難しかった多くの研究者が、QPI計測を行うことが可能になるため、研究人口が増加することによる、幅広い物質表面における新たな発見が期待されます。

発表雑誌

雑誌名:Journal of the Physical Society of Japan Vol. 85 No. 9
論文タイトル:Compressed sensing in scanning tunneling microscopy/spectroscopy for observation of quasi-particle interference
著者:Yoshinori Nakanishi-Ohno, Masahiro Haze, Yasuo Yoshida, Koji Hukushima,
Yukio Hasegawa, and Masato Okada*
DOI番号:10.7566/JPSJ.85.093702
アブストラクトURL:http://journals.jps.jp/doi/abs/10.7566/JPSJ.85.093702

問い合わせ先

東京大学大学院新領域創成科学研究科
教授 岡田真人
電話番号 04-7136-4085
メールアドレス okada@k.u-tokyo.ac.jp

用語解説

(注1)スパースモデリング

スパースモデリングとは、データへの適合とスパース性とを同時に要請することにより、データの説明変数を自動的に抽出する枠組みである。スパースとは「少ない」や「疎ら」を意味し、高次元データの説明変数が次元数よりも少ないことをいう。スパースモデリングを用いることにより、たとえば医学では、脳血管が空間的に脳全体を占める割合が少ないというスパース性を活用して、磁気共鳴画像(MRI)による脳血管撮像の速度が向上している。また天文学では、電波干渉計を用いて地球からはるか遠くにあるブラックホールの「穴」を直接撮像するための超解像技法が開発されている。

(注2)走査トンネル顕微・分光法

走査トンネル顕微法とは、尖鋭な金属の探針を、電圧を印加した導電性の試料表面に近づけたときに探針と試料との間に流れるトンネル電流を検出することにより試料表面の凹凸や電子状態の分布を原子レベルの分解能で計測する装置。印加電圧を掃引しながらトンネルコンダクタンスを測定することにより電子状態密度のエネルギー依存性を空間的にマッピングする手法を走査トンネル分光法と呼ぶ。

(注3)データ駆動科学

データ駆動科学とは、高次元な計測データから効率的に科学的知見を抽出するために、分野によらないデータ解析の方法論を探求する学融合的な分野である。近年注目されている方法論の一つがスパースモデリングである。注1で説明されているように、スパースモデリングは医学や天文学という広範な分野で成果を上げつつある。本研究ではスパースモデリングが物質科学の準粒子干渉計測にも有効であることを示し、スパースモデリングの普遍性を高めるものである。データ解析の方法論を共有することにより分野を超えた学問的交流が広がり相乗効果が期待される。

(注4)欠陥

欠陥とは、結晶中で原子が欠損している部分や結晶構造が部分的に不規則になっている部分(結晶の不完全性)、結晶表面上に存在する原子層の段差(原子ステップ)のことを指す。このような欠陥は、表面電子を散乱する散乱体となる。

(注5)トポロジカル量子現象

トポロジカル絶縁体とは、近年発見された物質で、電子の波動関数の特殊な幾何学的性質(トポロジー)を反映して物質内部が電気を通さない絶縁体である一方、物質表面だけは電気を通す金属的な性質を持つ。基礎物理学的な興味からだけでなく、デバイス応用への期待からも大変注目を集めている。そして、トポロジカル量子現象とは、そのようなトポロジカル絶縁体を始めとするトポロジーが本質的な役割を果たす、さまざまな量子現象(整数・分数量子ホール効果、スピンホール効果、トポロジカル超伝導、ワイル半金属など)のことを指す。

添付資料

図 1 (a) フェルミエネルギー上200 meVで銀の(111)表面に見られる準粒子干渉パターン。計測範囲は70 nm×35 nm。画素数は360×180=64800。(b) (a)をフーリエ変換して得られる準粒子干渉パターンの波数空間像。

図 2 図1(a)のデータを9分の1(7200画素)に間引いて得られるデータから推定した準粒子干渉パターンの波数空間像。上段は従来法、下段はLASSOにより解析した結果。左列はランダムに間引いたデータ、中列は規則的に間引いたデータ、右列は図1(a)の中央部のデータを解析した結果。